板垣は会津城(鶴ヶ城)の搦手に陣を取り、会津を降伏なさしめた後、松平容保公に武士の体面を保たせるため輿に乗って、堂々と城を退下することを許しました。
罪人のように「素衣面縛」して城を出るよう要求されるのではないかと恐れた会津藩士らは、この板垣退助の寛大な措置に感激し、その恩を忘れぬようにその時の毛氈を割いて分け、大切にしたと言われています。
官軍が悪い→日本軍が悪い→天皇に忠義を盡すのは間違いという戦後GHQ史観が随所に刷り込まれていることを実感。忸怩たる思いで会津を巡ります。
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