会津藩降伏式の場所へ。(令和7年10月23日)

会津若松・戊辰戦争西軍墓地(旧官修墳墓)慰霊祭の後、会津藩降伏式の場所へ。


板垣は会津城(鶴ヶ城)の搦手に陣を取り、会津を降伏なさしめた後、松平容保公に武士の体面を保たせるため輿に乗って、堂々と城を退下することを許しました。

罪人のように「素衣面縛」して城を出るよう要求されるのではないかと恐れた会津藩士らは、この板垣退助の寛大な措置に感激し、その恩を忘れぬようにその時の毛氈を割いて分け、大切にしたと言われています。



会津藩降伏式の場所


「会津戊辰戦争終結の地」案内板



「北出丸大通り」案内板



内藤邸跡


西郷邸跡


…ところが、この「泣血氈」の由来を案内板では「無念さを忘れない様にしたため」と、真逆の意味で解説が加えられ、板垣退助の功績を貶める記述に。

官軍が悪い→日本軍が悪い→天皇に忠義を盡すのは間違いという戦後GHQ史観が随所に刷り込まれていることを実感。忸怩たる思いで会津を巡ります。


前へ次へ
投稿日:2025/10/23

お問い合わせはこちら