高知驛前で「板垣遭難記念相撲」を開催(昭和23年4月3日)

【板垣遭難記念相撲・きよう高知驛前で】
土佐相撲協會および板垣會ではきよう四月三日(雨天順延)正午から高知驛前路上で板垣退助岐阜遭難記念の大相撲を行う。觀覧無料で多数力士の参加を望んでいる。

(『高知新聞』昭和23年(1948)4月3日附朝刊(2面)より)


【小社会】
四月六日は板垣記念日。これだけではわからないかも知れないが、明治十五年四月六日、自由党総理として板垣伯が岐阜市、中教院での演説後、相原某に刺された日である。

記念日主催の板垣會は本縣の後進が彼を慕うて作つたものであることから言ふまでもないことだらうが、自由、平等、博愛の精神を日本につたえ、ことにこれを政治的、政党的方面にとり入れた板垣伯は、何といつても日本の先覺者であつたといつてよい。

戰争中、B29が高知市の上空でバラまいた傳単(ビラ)にも、平和主義の第一人者として福澤諭吉らとともに、彼の名がとりあげられていた。

板垣伯の欧州旅行にはいろいろな目的があつた。伯はフランスでクレマンソーや、文豪ヴィクトル・ユーゴーなどと會談し、互に思想上、政治上の意見をたゝかわし、彼らをして「東洋にこの思想人あり」とうなづかしめた。

伯の主な著書は全集に収められているが、『一代華族論』の如きは千古の卓見がほのみえる。一節に曰く「わが國は平和主義による外、とる道が無い。もし強いてこれ以外の道を行かんとすれば、非常に危険で多大な犠牲を拂わねばならぬ。こんなことはわが國民の到底たえぬところである。もし好んでこれをなすなら、遂に滅亡のみ」と。板垣伯は半世紀前に、わが國の運命を予見してゐるではないか。

(『高知新聞』昭和23年(1948)4月3日附朝刊(1面)より)


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投稿日:1948/04/03

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