『板垣会』が再出発(昭和56年8月22日)

【『板垣会』が再出発】
民権百年を契機に理事会。
板垣退助の業績を顕彰するため戦前に設けられた『板垣会』が再出発。「自由民権百年」を記念しいろいろな事業を進めていくことになった。『板垣会』は板垣退助の死去した六年後、大正十四年に『板垣伯銅像記念碑建設同志会』として発足。(戦後の昭和二十年から『板垣会』と改称)。高知城の銅像建設、戦後の再建設、高知市九反田の憲政記念館(旧板垣邸)の復興、同市薊野の墓碑の建立、板垣の遺著『立国の大本』の復刻、あるいは墓前祭、相撲大会、弁論大会などの事業を行ってきた。

しかし、先々代理事長・野村茂久馬氏のあとを受けた先代理事長・寺尾豊氏の死後、新しい理事長が決まらず理事・評議員のみで運営していた。そこで、「自由民権百年」に当たることし、『板垣会』を再出発させ、記念の年に相応しい活動を興そうという話がまとまり、このほど高知市本町二丁目の高野寺で理事会を開いた。

理事会には高知県会議員・岩川真澄氏、高野寺住職・島田信了氏、高知学研究会長・里見義裕氏、高知市文化財保護委員・吉松清氏らが出席。新しい理事長に代議士・大西正男氏を選んだ。また、具体的な活動は県、市とも連絡を取りながら、高知市丸山台の板垣外遊帰国記念碑の復興(あるいは移転)、板垣ゆかりの地・栃木県今市市との交流などを進めていくことになった。

(『高知新聞』昭和56年(1981)8月22日附朝刊(8面)より)


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投稿日:1981/08/22

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