高知市丸山台「自由の碑」を清掃(昭和62年8月9日)

【高知市丸山台・板垣会のメンバーら「自由の碑」を清掃・見学】
板垣退助の生誕百五十周年(天保八年=一八三五=四月十七日高知市中島町生まれ)を記念して八日、高知市の鏡川河口の小島、丸山台にある『自由の碑』の清掃と見学会が行われた。板垣退助生誕百五十年記念事業実行委員会(大西正男委員長)の主催。

丸山台は弘化台と南新田町の中間にあり、約七百平方メートルの県所有の小島。明治十六年板垣が訪欧後、帰高した際、県民から熱狂的な歓迎を受けたゆかりの地で、大正十三年、『自由の碑』が建てられた。見学会には財団法人板垣会の会員など約三十人が参加。船で丸山台に渡ったが、石碑の周辺は約五メートルもの竹が生い茂り、足の踏み場もないような状態。参加者らは「こんなに竹が生えているとは」と驚きながら、持ってきた鎌で刈り取った。

約半時間の清掃で竹林の中から姿を現した石碑は砂岩で造られたものらしく高さは約二メートル。『自由民権ノ気勢更ニ天下ヲ震動ス』と外遊から板垣が帰った当時の華やかな歓迎ぶりが偲ばれた。同実行委員会は今回の見学会を皮切りに『板垣退助読本』も九月末に刊行するなど板垣顕彰事業を進める。

(『高知新聞』昭和62年(1987)8月9日附朝刊(22面)より)


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投稿日:1987/08/09

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