板垣像は昭和三十一年五月の再建で作は濱口青果。建造後三十四年を経て汚れや傷みが目立ってきた。また今年は第一回帝国議会が開かれてから百周年にもあたり、この機会に像をリフレッシュしようと昨年末、有志らで板垣退助像改修期成会(吉村真一会長)を発足させ、広く募金活動をしてきた。この呼び掛けに、一日現在で八百七十口、計二百六十万円余りの募金が寄せられ、これを元に三月下旬、改修工事に着工。作業は汚れや腐食を洗い流した後、ひび割れなどに充填剤を詰め、自然な緑青が生じるよう薬剤を塗った。また同時に説明板も立てた。
除幕のこの日は、板垣が演説中に刺客に襲われ『板垣死すとも自由は死せず』の名文句を生んだ「岐阜遭難」の日。銅像前で行われた除幕式には中内知事や、銅像作者の二女・濱口幸枝さん(五八)=東京都小平市在住。それに大相撲や居合道の普及発展に尽くした板垣を偲び、元大関朝潮の若松親方、土佐英信流居合(高知県剣道連盟居合道部)のメンバーも出席した。
吉村会長が『募金をお寄せ頂いた方々にお礼を申し上げたい』と挨拶。神事で関係者七人が幕を除くと、ぐっと重厚さを増したつややかな暗緑色の像が現れ、一斉に拍手が起きた。この後、居合道の奉納演武もあり、出席者全員で完成を祝った。この銅像はこれまで所有権がはっきりしなかったが、改修を機に財団法人板垣会が改めて県に寄附する形を取り、今後は県の手で維持管理される。
(『高知新聞』平成2年(1990)4月7日附朝刊(21面)より)