板垣は立志社創立(明治七年)や自由党結成(同十四年)など自由民権運動を牽引し、内務大臣を務めた。大正八年七月十六日に八十三歳で死去した。「板垣会」は大正九年に「板垣伯銅像記念碑建設同志会」として発足。
現在は高知市薊野にある板垣家墓所の清掃や法要を中心に鏡川河口の丸山台への架橋運動にも関わっている。「預金の利子や寄附で運営しているが、近年は低金利で年間予算が減った分、活動が低調となった」(事務局)と話す。
板垣の生誕地にあたる高野寺で営まれた法要では、古谷理事長が「活動を盛んにして行きたい」と挨拶。会員らは板垣の業績を偲んで手を合わせた。
(『高知新聞』平成10年(1998)7月17日附朝刊(26面)より)