髙岡功さまが「電波技術協会賞」を受賞(平成17年11月8日)

本日、髙岡功さま(板垣退助曾孫・髙岡眞理子さまのご主人/髙岡功太郎さまのご尊父)が、第19回「電波技術協会賞」を受賞されました。おめでとうございます。


●髙岡功さま(移動体無線通信の普及・促進に貢献し受賞)
【表彰状】高岡功殿、あなたは長年にわたり無線通信業務に携わり、移動体通信分野において、近畿地区のインフラ設備計画から、設備建設・保守・運用まで一貫して担当し、安定した携帯電話サービスの提供に尽力するとともに、積極的に後輩の指導育成に努め現在の近畿地区での移動体無線通信サービスの基礎構築に寄与するなど、


移動体無線通信の普及発展に貢献されました。その功績は誠に顕著でありますので電波技術協会賞を贈呈し表彰します。平成十七年十二月八日、財団法人電波技術協会 会長 上野山覺


【髙岡功さま式辞】この度は栄誉ある「電波技術協会賞」を受賞し、身に余る光栄と感激しております。受賞に当りご推挙頂いたKDDI関係者、選考に当られた諸先生方、そして今まで私を支えて下さった、同僚と後輩の皆様のおかげと心より御礼申し上げます。

振り返りますと、私の人生は、無線との付合いの連続でした。初めて無線に興味を持ったのは、中学1年生の時、作り上げたラジオの電源を入れ、真空管のフィラメントが、ぼーっと赤く灯り、第一声が聞こえた瞬間でした。以降学生時代は、自作の送受信機で、海外の彼方から飛来する、かすかな電波を受信し相手と交信するアマチュア無線人生に没頭しました。大学も通信関係を専攻し卒業後は、日本電信電話公社に奉職。ここでも無線屋を志願し、無線中継所の保守から、携帯電話のはしりの自動車電話網の建設へと従事しました。当時の自動車電話は、通話料のほか、非常に高額な保証金と月額基本料が必要で、いわゆるステイタスシンボル的な電話機であり、とても現在のような普及が想像も出来ない時代でした。この様な中で通信が民間にも開放され、携帯電話事業への参入の道が開かれました。

これに伴い、新たに関西で携帯電話事業に参入すべく、関西セルラー電話株式会社(今のKDDI株式会社)が設立されることになり、その発足に参加致しました。設立以降、より安価で・使い勝手がよく・高品質で使用できる携帯電話網を作るべく、通信網の設計・建設・技術社員の確保と保守技術指導に取組み、平成元年(1989)7月に当時のNTTさまに次ぐ、第二の携帯電話会社として、サービスを開始しました。

以来爆発的な携帯電話ブームとなり、急増するお客様に対応すべく通信網の拡張が必須となりました。交換機・無線機はメーカー様に協力願い、何とかしのぎましたが、周波数帯域を有効に利用する為、多重化の高度化を繰返し、アナログ方式とPDC方式で夫々2方式を導入し、さらにCDMA方式へと変遷しました。その中では、システムの安定化、新たに拡大する電子メール需要への対処など、様々な難問が山積していました。しかしながらこれらを克服することで、携帯電話も初期の固定電話を補完する単なる通話の世界から、新しい通信の世界へ発展し、従来の交換機からコンピューター社会と融合する時代へと突入いたしました。

そして今日では、全国9000万台弱もご利用頂ける世の中になるとは、本当に夢のような思いがします。今後は来年開始されるワンセグ放送などのTV受信や、さらなる多種多様なサービスが開発され、益々生活に密着した携帯電話社会と成って行く事でありましょう。この様な時代にこの様な事業に従事できたことは、無線技術屋としての誇りであり、家族には勿論、跡に続く後輩たちへも誇りになると思っております。

最後にはなりましたが、財団法人電波技術協会の皆様をはじめ電波関係の分野でご活躍されている皆様の益々のご発展を心からお祈り申し上げます。


追記:平成18年(2006)1月20日発行の『電波技術協会会報』第248号に、髙岡功さまが「電波技術協会賞」を受賞された旨の記事が載りました。詳しくはリンク先をご覧ください。


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投稿日:2005/11/08

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