三ヶ根山の【殉國七士廟】へ。(平成29年4月13日)


以前、大阪蒲生の杦田勘一郎さんの紹介で、東條英利さんをご紹介頂いた際、「三ヶ根山へはお越しになられましたか」と尋ねられたことがある。お参りしたいという気持ちがあっても、果せずにいたのが何とも心残りであったが来年、平成30年(2018)は、板垣退助の百回忌を迎える。各種記念事業を行うにあたり、岐阜の支援者・板垣國和さんらと三ヶ根山の【殉國七士廟】へお参りに行きました。

國和さんとは、平成24年(2012)の高知での板垣退助第94回忌や、その後の戦艦大和の慰霊祭でお会いした際、三ヶ根山の【殉國七士廟】の話となり、是非お参りしたい旨をお伝えした処、御案内頂けるとのお話を頂いていた。

ところが、その後、お互い多忙の中で日程が合わず…。のままであった。しかし愈々来年、板垣退助の百回忌を迎えるにあたり、岐阜での状況など連絡を取り合った処、本年4月16日の板垣誕生日を前に【殉國七士廟】へお参りすることが叶いました。


米國の原子爆弾使用、ソ連の不可侵條約破棄、物資の不足などにより敗戦のやむなきに至った日本の行為を、米・中・英・ソ・濠・加・佛・蘭・新蘭・印・比、十一ヶ國は極東國際軍事裁判を開き、事後法によりて審判し、票決により昭和23年12月23日未明、土肥原賢二、松井石根、東條英機、武藤章、板垣征四郎、廣田弘毅、木村兵太郎七士の絞首刑を執行した。

横濱市久保山火葬場より、その遺骨を取得して熱海市伊豆山に安置していた三文字正平弁護士は幡豆町の好意により、これを三ヶ根山頂に埋葬し、遺族の同意と、清瀬一郎、菅原裕両弁護士等多数有志の賛同とを得て墓石を建立した。遙かに遠く眼を海の彼方にやりながら太平洋戦争の眞因を探求して恒久平和の確立に努めたいものである。(碑文より)


仏花を用意して、國和さんと名古屋で落合い、いざ三ヶ根山へ。殉國七士に向い一同、国歌斉唱のあと「海ゆかば」を謹んで奉唱。国事に散華せられた御霊に感謝と哀悼の洵を捧げ、板垣退助の百回忌記念事業の成就を祈念しました。


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投稿日:2017/04/13

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