大和神社「戦艦大和」みたま祭(平成25年8月7日)


高知の板垣退助法要でお会いした、岐阜の板垣國和さんに誘われて、奈良の大和神社の「戦艦大和」みたま祭へ。

戦艦大和の艦内御祭神がこの「大和神社」の神様が奉られていたとのことで、呉の海軍墓地以外にもこの場所でも「戦艦大和」の慰霊祭が行われてきました。

神社の境内、一の鳥居から拝殿までの距離が、ほぼ「戦艦大和」の大きさに等しいとのことで、往時の大きさを実感することが出来ます。

さらに、神社入口に建つ「明治二十七八年戦役戦勝紀念碑」すなわち「日清戦争の戦勝紀念碑」は堂々たる漢文で記されていますが、この撰文をしたのが、元土佐藩士


で、土佐勤王党の古澤(迂郎)滋です。古澤滋は、板垣退助が左院に提出した『民撰議院設立建白書』を起草した人物で、建白書の筆頭にその名があります。明治維新後すぐにイギリスへ留学。帰国した際にこの建白書を書くことになったのですが、今読んでも名文。英語も堪能ですが、漢文も見事。才能ありすぎの人物で、ちょうど、日清戦争の頃に奈良県知事を務めていたので、この碑文を書いたのでした。

板垣國和さんの御尊父が海軍出身。私の伯父も海軍出身。この「大和神社」のある天理市は、私の母の生れた場所(祖父が天理大学のドイツ語科教員として赴任していた時に生れた為)。「次は三ヶ根山へ行きましょう」と誘われました。是非、機会をつくって実現したいもの。板垣退助を顕彰する思いも共有できたし、なにかとご縁を感じた一日でした。弥榮。


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投稿日:2013/08/07

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