第99回忌・板垣退助先生墓参り(高知)・法要

板垣退助先生墓参り(高知)と第99回忌法要参列を予定しております。

板垣家歴代墓所に関してもわかりやすく解説します。


●集合:平成29年7月16日(日)12:00
●ところ:JR高知駅南口(集合)→板垣家歴代墓所
    →高知城板垣像前(記念撮影)
    →昼食→高野寺(法要参列)

●一般社団法人板垣退助先生顕彰会
板垣退助第99回忌法要ご案内フライヤー.PDF


●法要:平成29年7月16日(日)
   15:00(法要開始)
●ところ:高知県高知市本町2-3-18
              高野寺本坊
●施主:特定非営利活動法人板垣会


板垣退助第99回忌法要(於高知・板垣山墓所、高野寺)

本会(大阪「板垣会」)のメンバーは、昼12時にJR高知駅前に集合。今回、第99回忌ということで、大阪から初参加の方々を板垣山へご案内。

 

当日のあらまし

前日(7月15日)、岐阜「板垣会」会長・澤田榮作先生より託された花を、高知・板垣山の板垣退助墓地へ


板垣山・板垣家墓所(第99回忌・本会撮影)

持参。お参り来られる方に、どれが誰の墓か分かるように大阪から持参した案内板を設置。
板垣山墓所は、地元有志の方々が前日に清掃して下さって、静謐な状態に保たれておりました。それまでは40年近く、地元の有志で高知「板垣会」の理事をされておられた北代巖雄先生が、毎月、1日と15日に墓地を清掃。奥都城に榊を供えて下さっていましたが、昨年、惜しくも北代先生は身罷られてしまいました。


『高知新聞』(平成29年(2017)7月15日附夕刊)

その後、地元の老人会「薊野三五クラブ」の有志の方々が志を継いで下さっており、その様子は7月15日附『高知新聞』でも取り上げて頂いております。

 

記事には載っておりませんが、北代先生は、2月11日の【紀元節】がお誕生日で、国歌「巌となりて苔のむすまで…」が、お名前の「巌雄」の由来。地元選出の議員を務められ、引退されてからは町内会長をされ、40年近くに亘って、ほぼ一人で、毎月1日と15日に板垣退助の墓地を清掃。榊を供えて下さっておりました。

 

我々の持参したお花、岐阜の人々から託されたお花、地元の方々がお供えされたお花を献花し、第九十九回忌墓前祭は滞りなく挙行されました。


板垣退助第99回忌法要(高知高野寺・本会撮影)

板垣退助の生まれた場所が、明治以降、高野山真言宗「高野寺」となりました。戦前は「板垣会館」が建てられ板垣の貴重な遺品などが所蔵されていましたが、南海大空襲で罹災。
板垣退助の薨去後、一年も欠かすこと無く法要は続けられ、本年は第99回忌。板垣家の菩提寺は、東京品川「青松寺」の塔頭寺院である「清岸院」ですが、板垣ゆかりのこの場所に建つ「高野寺」はいわば、板垣の高知の菩提寺となっています。


板垣退助第99回忌法要(高知高野寺・本会撮影)

第99回忌法要は例年より多くの方々が集まり挙行されました。島田住職の読経のなか、順次、お焼香を行い、板垣退助先生に感謝と哀悼の洵を捧げました。

 

その後、特定非営利活動法人板垣会(通称 高知「板垣会」)の総会へ出席。


高知「板垣会」の総会(当日・本会撮影)

議題は来年「板垣退助百回忌」へ向けての方策が主題で、高知の副議長さまもご出席されておりました。
板垣山への経路、駐車場確保の問題などの進行状況の説明などあり、私たちは板垣山自体の史蹟的価値を知ってもらうために、案内板の設置などを提起しました。

そのあと、場所を移して高知「サンライズホテル」で懇親会。「サンライズホテル」は、高野寺の北隣に面し、幕末は乾多喜馬の屋敷跡地になります。乾多喜馬の八代前の先祖・乾新十郎和路(  -1703)は、山内(乾)彦作和成(1610-1670)の四男で、乾和成の父・山内(乾)備後和三(1563-1633)は、板垣家の初代・加兵衛正信が、天正18年(1590)10月18日遠江国掛川で、山内一豊公へ召抱えられた際に仲介役となったと伝えられる家老にあたります。今は縁あって「サンライズホテル」が建ち、その会長の古谷先生が、高知「板垣会」の代表を務めておられます。私たちは来年(平成30年)、明治維新150年・板垣退助第百回忌を迎えるにあたり、7月16日とは別の日で、全国の志のある人々が集まって板垣の顕彰祭を東京品川で挙行できるよう、皆様へご協力を呼びかけました。


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投稿日:2017/07/16

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