『読売新聞』令和4年9月24日 夕刊

安倍元総理への想いと揮毫を頂いた経緯について『読売新聞』から取材がありました。(以下記事より。※文脈補足済)


明治時代の自由民権運動家・板垣退助(1837-1919)の 玄孫・高岡功太郎さん(48)が、参院選の演説中に銃撃された安倍晋三・元首相の死を悼んだ。

平成30年(2018)、板垣退助の百回忌に際し位牌を新調することとなっ


た。【板垣退助は100年前に亡くなったがその精神は、不滅であって欲しい】との願いをもとに、位牌の裏に【板垣死すとも自由は死せず】の文言を刻もうと総会で決議された。

せっかくならば、板垣退助ゆかりの人物か、自由民権運動の精神を受け継ぐ人物に揮毫を賜ってはどうだろうかと話し合い、全会一致で自由民主党総裁・安倍晋三首相が良いだろうという話にまとまった。しかし、首相ともなれば万事ご公務で御多忙の身ゆえ、揮毫を頂ける確証はどこになかった。ゆえに先ず我々が、真剣に憲法改正に取り組み、自由民権運動の精神を実践していることを世に示すところから始まった。板垣会も任意団体ではなく、法人登記をして軌道に乗せてゆくところからのスタートである。

このあたりの話だけでも、本が一冊書けるほどのエピソードが満載。『議事録』も総て保管してある。新聞記者さまへも2、3時間かけて経緯を説明したが、紙幅の関係もありこのあたりの話は総て割愛されてしまったので、とんとん拍子にことが運んだように書かれているが、構想10年かけての一大事業であった。さて、新聞記事に戻ろう。


生前の安倍氏に揮毫をお願いすると、「板垣死すとも自由は死せず」との言葉が贈られた。高岡さんは暗殺事件を受け、「政治家が命を奪われることは、二度とあってはならない」と憤る。

高岡さんが理事長を務める顕彰団体「一般社団法人板垣退助先生顕彰会」(大阪市)は、板垣の東京・世田谷の菩提寺「高源院」には位牌がなかったことなどから、2018年の板垣百回忌にあわせ、新調を発願した。


板垣退助百回忌法要・特別位牌奉納式(平成30年(2018)7月16日)

記事では「高源院」が菩提寺で「高野寺」が「ゆかりの寺」と書かれているが、実際にはどちらも菩提寺である。江戸時代の藩士は国元と江戸に両方菩提寺があって、その名残りであるので、菩提寺が一つとは限らない。さらに云うと宗派も一つとは限らない。


揮毫をお願いした安倍氏は当時の首相。外遊で忙しい合間を縫い、條幅に毛筆でしたためられた「板垣死すとも自由は死せず」の揮毫は140年前、板垣が遊説先の岐阜で暴漢に襲撃された際、叫んだ言葉。板垣は一命を取り留めたが、この言葉は当時の人々を振い立たせ国会開設の原動力となり、自由民権運動を象徴する文言となった。


そこで板垣会は、位牌の裏側にこの言葉を彫り込み、板垣の生誕地・高知の菩提寺「高野寺」と東京の菩提寺「高源院」にそれぞれ奉納。その4年後、安倍氏は道なかばにして凶弾に倒れられた。

高岡さんは「民主主義を否定する暴力は許せない」と話し、安倍氏の死を悼んで国葬(国葬儀)が行われる9月27日、板垣会の会員らと奈良市の大和西大寺の暗殺事件現場を訪れ、手を合わせる予定。(以上記事補足要約ここまで)


世間では国葬反対論などがあって実に悲しい。また、テロリストを主人公とした映画が作られると云う。「正気の沙汰か?」と言いたい。実に日本人として恥しい限りだ。安倍先生がどれだけ真剣に「憲法改正」に向き合っていたか考えて欲しい。…そして、道なかばで倒れられた。しかも暗殺という卑怯な手段が使われてである。この意味を理解している人が、少な過ぎるのではないだろうか。今回の事件によって日本の平和と安全は著しく後退した。

私はクリスチャンではないが『聖書』にある「人はパンのみに生きるにあらず」と云う言葉には深く感じるものがある。日々の自分の糧だけに生きるのでは無く、より良い社会の為に何が必要かを考えれば、自ずと答えは出るはずであると信じたい。謹んで、安倍晋三元総理のご冥福をお祈りします。(理事長談)


『讀賣新聞』の取材は自由民権運動ならびに「国会期成同盟」ゆかりの大阪太融寺のお庭にて

なお、本年9月9日に行われたオンライン会議にて、我々は9月27日の国葬日に合わせて、弊会主催の直会の席上で総会を兼ね、弊会の「名誉総裁」号を故安倍晋三元総理に贈りする事を決議いたしました。式典の詳細ご不明点、お問い合わせは、弊会mail宛へ。(事務局より)


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投稿日:2022/09/24

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