大和神社【戦艦大和慰霊祭】(令和6年4月7日)

本日は、戦艦大和の慰霊祭のため、自由民権運動とゆかりのある大和神社へ。


昭和20年4月7日、米軍による猛攻撃によって戦艦大和は沈没し約4,000人の方々が散華せられました。国の礎となられた戦艦大和・第二艦隊戦歿者慰霊祭の日です。
コロナ禍以前は毎年斎行され、年々参列者も増えていっていたのですが、コロナ禍によって神職さまのみでの斎行となり、一般参列は自粛状態が続き…。の状態でした。今回は山田勇さんのご盡力により斎行。『産経新聞』も取材に訪れてくださいました。



国歌斉唱、神事、黙祷、海ゆかば奉唱。

この「大和神社」は戦艦大和の艦内御祭神であるとともに「大和=日本」の御祭神でもあります。またこの「大和神社」の境内(一の鳥居)には、土佐勤王党・古澤滋が奈良県知事時代に撰文した「日清戦争戦勝記念碑」があります。古澤滋は『民撰議院設立建白書』を起草した人物でもあり、板垣退助の側近とも云える存在でした。碑文には、


明治二十七年清人負盟。八月、
皇帝發詔伐清。二十八年三月清王割臺灣及遼東之地、納金乞和。十月、臺灣平師還。是役、吾大和朝和村、壮丁從軍者五十四人。此旹村民相謀、立碑勒五十四人姓名。傳乎不朽。予喜其所以、炳耀無前之偉蹟、激励尚武義勇之心也爲記。

明治二十九年一月三十日

奈良縣知事 從四位勲四等 古澤滋撰


とあります。
慰霊祭のあと塩谷陸男宮司と古澤滋撰文のこの貴重な石碑について深くお話しが出来ました。この後、座を移して石上神宮へお参り。平和の大切さを熟考し、憲法改正の必要性を改めて痛感した一日となりました。(事務局より)


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投稿日:2024/04/07

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