昭和20年4月7日、米軍による猛攻撃によって戦艦大和は沈没し約4,000人の方々が散華せられました。国の礎となられた戦艦大和・第二艦隊戦歿者慰霊祭の日です。
コロナ禍以前は毎年斎行され、年々参列者も増えていっていたのですが、コロナ禍によって神職さまのみでの斎行となり、一般参列は自粛状態が続き…。の状態でした。今回は山田勇さんのご盡力により斎行。『産経新聞』も取材に訪れてくださいました。
この「大和神社」は戦艦大和の艦内御祭神であるとともに「大和=日本」の御祭神でもあります。またこの「大和神社」の境内(一の鳥居)には、土佐勤王党・古澤滋が奈良県知事時代に撰文した「日清戦争戦勝記念碑」があります。古澤滋は『民撰議院設立建白書』を起草した人物でもあり、板垣退助の側近とも云える存在でした。碑文には、
明治二十九年一月三十日
奈良縣知事 從四位勲四等 古澤滋撰