高知北川村・中岡慎太郎館【尾﨑卓爾展】(令和7年11月16日~17日)

昨日の京都での「龍馬祭」に続き、本日からは高知へ。日本で初めて中岡慎太郎の伝記を書いた尾﨑卓爾(筆名・吸江)は、板垣家の親戚。尾﨑卓爾の父は中岡慎太郎と幼馴染。令和7年(2025)10月11日~11月17日迄、高知・北川村の中岡慎太郎館で【尾崎卓爾展】を開催しております。…という訳で我々も11月16日〜17日、中岡慎太郎館へ参ります!そして明日は、中岡慎太郎先生のご命日。高知・北川村【中岡慎太郎先生墓前祭】へ参列致します。


●板垣正と尾﨑旦と尾﨑卓爾の関係。
尾﨑卓爾の父(尾﨑旦爾、前名:手島熊吉)は、中岡慎太郎と幼馴染で、戊辰戦争では迅衝隊として会津征伐に従軍しています。
中岡慎太郎のことを父からよく聞いて育った尾﨑卓爾と兄の尾﨑旦は、『中岡慎太郎伝』を執筆し、その売り上げを中岡慎太郎の銅像建設にあて、広く中岡慎太郎の事績を知って貰おうと務めました。まだ、桂浜の龍馬像も、室戸の慎太郎像も無い時代です。京都の円山公園に両雄の銅像を建てたいと熱い希望を持っていました。(※現在、京都の円山公園にある銅像は、この銅像が戦時供出された後の再建像です)

●板垣正は、板垣守正(退助の孫)の長男ですが、守正が東京帝大在学中でまだ未婚であったため、


守正の父の鉾太郎(退助の長男)の四男として出生届が出されましたので、板垣家の戸籍では守正の弟となっています。この板垣正が今幡西衛の媒酌によって養子に入った先が尾﨑旦の家で、中岡慎太郎の伝記を書いた尾﨑卓爾が尾﨑旦の弟になります。(※その後に板垣守正に生まれた男子が、令和5年(2023)12月逝去された板垣正明さんで、正明さんは戸籍上は守正さんの長男ですが、実際は次男にあた



(左)髙岡功太郎理事長、(右)尾﨑雅洋さま


(中岡慎太郎先生像前にて)尾﨑さま、髙岡理事長


ります)なので板垣家と尾﨑家は親戚であり、なおかつ『中岡慎太郎伝』を出版した尾﨑旦の本に載る住所(前出の奥付の写真)は板垣退助の明治17年当時の自宅の住所でもあります。(※「明治17年板垣退助暗殺未遂事件」の現場となった場所でもあります)



説明をされる豊田学芸員


『中岡慎太郎先生』復刻版(髙岡家所蔵)



『中岡慎太郎先生』奥付(尾﨑卓爾と旦の名が)


板垣正貫戸籍謄本(髙岡功太郎所蔵)



板垣正が尾﨑家へ養子に行った記載がある


京都円山公園・坂本中岡両先生銅像(戦前)


京都円山公園に坂本龍馬・中岡慎太郎両先生の銅像を建設しようとした時、尾﨑卓爾の『中岡慎太郎伝』によって中岡慎太郎のことを広め、今幡西衛が『雋傑坂本龍馬』を編纂して坂本龍馬の認知度を世間に広め浄財を集めました。



高知新聞(令和7年(2025)10月11日号)


読売新聞(令和7年(2025)10月19日号)



『雋傑坂本龍馬』(髙岡功太郎所蔵)


奥付と板垣守正戸籍謄本(髙岡功太郎所蔵)


『雋傑坂本龍馬』の奥付の住所は板垣守正の住所の隣りではないかと思われます(たぶん)。
板垣絹子さんが広尾学園を創った頃、板垣家は東京の広尾に住んでいました。



尾﨑家・板垣家家系図(作成・中岡慎太郎館)


板垣守正長男・板垣正(尾﨑正)



『自由黨異変』板垣守正著(髙岡功太郎所蔵)


『自由黨異変』板垣守正著(髙岡功太郎所蔵)


東京帝大在学中、板垣守正は演劇に傾倒し落第してしまいます。にも拘わらず『自由黨異変』という戯曲を帝劇で上演しようとしたことが、守正廃嫡事件の原因と世間では報じられましたが、実際にはその帝劇の女優との間に子供が出来たことが「守正廃嫡事件」の原因でした。実際、今、『自由黨異変』を読んでも「板垣退助の名誉を棄損するような箇所」は微塵もありません。帝劇の女優との間に子供は、板垣家で出産し戸籍上は「鉾太郎の四男(守正の弟)」として出生届が出され、今幡西衛が預かって育て、中岡慎太郎との縁で知己であった内務省勤務の尾﨑旦が引き取って育てることになります。



『自由黨異変』奥付


板垣守正の長男・板垣正の養父・尾﨑旦


この辺りの経緯を宇田朋猪をはじめ、平尾道雄や板垣の伝記を書いた作家らは総て知っていながら「この話を書いてもいいのか?」との判断があり「板垣百回忌までは沈黙する」として省かれた経緯がありますが、その百回忌は平成30年(2018)に過ぎましたので、その規定どおり百回忌記念書籍では系譜に記載されることになりましたので、ご存知の方もおられると思います。(※また同書には尾﨑正(板垣正)さまの手記も収録しております。ご興味おありでしたら御一読ください)



板垣守正戸籍謄本(髙岡功太郎所蔵)


尾﨑卓爾の生家にて


今幡西衛は、自由民権家で夕張炭鉱の支配人も務めた人物。なおかつ、板垣家とも遠縁の親戚で、宇田朋猪に資金を提供して『板垣退助君傳記』を執筆させた人物でした。髙岡家と尾﨑家は今でも親戚づきあいがあります。(※板垣の戸籍謄本は髙岡家所蔵のものより必要箇所を抜粋)

●板垣守正廃嫡事件の経緯
●京都円山公園・坂本龍馬中岡慎太郎両先生銅像(初代)建立の経緯
●尾﨑家と板垣家の関係/尾﨑卓爾と尾﨑旦の関係
●尾﨑卓爾が「中岡慎太郎伝」を執筆することに至った経緯
●「中岡慎太郎伝」が初めて出版された場所が旧板垣邸(「明治17年板垣退助暗殺未遂事件」の現場)であったことなどがよく分かる展示となっており非常に感慨深いものでした。次回「尾﨑旦と尾﨑正、板垣守正」に関する特別展があれば、喜んで協力させていただきます。

本日はお招きくださいまして、洵にありがとうございました。(理事長談)


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投稿日:2025/11/16

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