【板垣會委員世話會】
板垣伯の銅像再建および伯の懐德顯彰に乘り出した板垣會では、全縣下委員世話會を二十一日午後一時半から高知市役所の市長室で開催する。
(『高知新聞』昭和21年(1946)3月20日附朝刊(2面)より)
●このころ板垣會の代表(會長)は高知市長が務めており、戦前からひき続いて大野勇市長が代表であった。高知県下の板垣会の役員を招集し、今後は戦後史観における「板垣像」を提唱することになる旨の落とし込みがなされた。これも苦渋の決断であり、この時な大野市長の判断を責めることはできない。彼の本心は板垣像供出の時の祭文に余すことなく述べられており、今日我々は池田永馬の編纂による『銅像供出録』によってその全容を知ることができるからである。(大野市長は役を退かれて後、随筆や人生訓も書かれているが、それらを読めば、敗戦後すぐの苦難時代に大役にあった優れた人格者であったことが分かる)
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