【伝えたい板垣生誕地・高野寺住職 島田定信(じょうしん)さん(62)】
明治の初め、高知にも廃仏あの波が押し寄せました。そんな時、和歌山の高野山から縁あって高知に来た僧が、その惨状をみかねて、ここ板垣退助の生誕地跡に創建したのがこの高野寺です。
戦前には今の商店街の東側が寺の塀で、敷地の今の二倍以上ありました。昭和十二年には当時の内務大臣や高知市出身の横綱・玉錦らの協力で敷地内に板垣会館が建てられ、演説会などが行われていたようです。なんで玉錦かというと、自由民権の創始者の板垣は、相撲奨励者としても有名なんです。玉錦は会館建設のため、本場所のあくる日にわざわざ興行し、浄財を集めたと聞いています。
会館は当時、高知でも珍しい西洋風の建物だったようですが、それもこれも戦災で焼けてしまいました。戦後の一時期は敷地内に保育園があり、寺は子供の遊び場でした。今はさびしくなりましたねえ。
その天神大橋の歴史は遠く戦国時代にさかのぼる。『角川日本地名大辞典』によると、長宗我部元親が大高坂に築城し、城下町を建設した際、現在の位置に大橋を架けたと史実にある。
江戸時代には二代藩主・山内忠義が真如寺参詣のため架橋し、真如寺橋と呼ばれたが、八代藩主・山内豊敷が天神橋と改称したという。当時、潮江川(鏡川)に架橋された唯一の橋だった。
(『高知新聞』平成18年(2006)6月26日附夕刊(10面)より)