本日は大東亜戦争の終結より63年目の節目の日。
戦争体験者の方々のお話しを聞けるのは、我々が最後の世代かもしれません。…という訳で東京の靖國神社に参拝し、癸丑以降、国事に奔走され散華された勤王の忠臣、護国の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げました。この英霊の中には、板垣退助の配下に属し、戊辰戦争で散華された御祭
さらに、これを放置すると、みんな、戦後つくられた「おかしな板垣像」を板垣の真の姿だと思ってしまうのではないかという危惧があります。
板垣が岐阜で刺客に襲われた際、「自由の権利を主張する社会運動をしている白髭の老人が刺されて『板垣死すとも自由は死せず』と言い残して死んだのだと真剣に勘違いしている人。あるいは「実際に『板垣死すとも…』とは言っておらず『イタイガーヤキー』と言った高知弁が『板垣…』に聞こえたのだ」との小噺を真実だと思って物知り顔で説明して悦にいる人。
上野に西郷隆盛の銅像が建立された時の除幕式で、絲子夫人は「こげん人ではなか(こんな人ではなかった)」と驚いて口にしたそうですが、戦後作られた板垣退助本の内容も正にそんな感じではないでしょうか。本年7月16日、板垣退助は九十回忌を迎えました。あと10年で百回忌。そんな歪められた板垣像が語られたまま、百回忌を迎えてしまって良いのでしょうか。そうさせないためには何をしないといけないのか、何が出来るのか、何から始めねばならないのか。悲しすぎる百回忌を迎えない為にはどうすれば良いのか。今からでもしっかり考えておかねばならない問題ではないかと感じております。