板垣は一八三七年に現在の同寺がある場所で生まれた。立志社や自由党を結成し、議会設立や憲法制定に尽力。有名な「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残した。
板垣会は板垣薨去の翌年の一九二〇年に発足。法要や同市薊野東町にある墓地の清掃を行っている。理事と監事を含め約二十人の役員で運営していたが、昨年の九十一回忌をきっかけに賛助会員を募り、約五十人が加わった。
法要には、約三十人が参列。読経が響く中、代わる代わる焼香を行い、自由を掲げて近代日本の礎を築いた土佐の偉人とその功績に思いをはせた。
同会の古谷俊夫理事長は「今の日本の政治には閉塞(へいそく)感があるが、自由民権の精神を大いにくみ取り、国会で活発な議論をしてもらいたい」と語った。(五十嵐隆浩)
(『高知新聞』平成22年(2010)7月17日附朝刊(24面)より)