東日本大震災支援感謝・台湾独立運動(平成23年7月24日)

 東日本大震災の時、台湾は多額の義捐金を集めて日本の復興を支援してくれました。


本日はその御恩返しとして大阪梅田のナビオ阪急前で行われた「台湾独立運動」に参加してまいりました。
台湾議会を創った林献堂先生は、議会を創る運動から学ぼうとして日本の本土に渡り、板垣退助を訪ねます。板垣もこれに呼応して、訪台すること2度。台湾各地を遊説して回りました。晩年の板垣の姿です。今でも板垣の植樹した桜が現地に残るそうで、板垣は「台湾議会の祖」とも呼ばれています。この「台湾議会」は現在の台湾の国会の源流でもあります。

そうしたご縁を感じながらの街頭活動。
私も恥ずかしながら、マイクを握って台湾の国際的立場を演説いたしました。
(自撮りしてないので私の写真はありません)


永山先生、田邊先生が演説されている中、せっせとチラシを配りました。大東亜戦争までは日本の領土であった台湾は、サンフランシスコ講和条約以降、その領土を放棄せざるを得ませんでした。しかし、その帰属先は未決のままです。国共内戦に敗れた結果、蔣介石政権が台湾にやってきて政権を創りますが、そもそも台湾島自体が、中華民国の領土として国際的に承認を得る形で編入された訳ではありません。中華人民共和国と互いに領土を主張しあっているので、帰属先がいづれかの国に決まった訳ではなく、また、日本の領土となる以前、明国や清国の領土となった訳ではありません。


鄭成功は、復明討清を志して台湾に籠りましたが、これは、清の支配が及んでいなかったことを示していますし、明の領土かと言えばそうでもなく、オランダが寄港地を作っていました。しかし、これも全土に及んでいた訳でもなく、日本では「多加佐后(高砂)」と呼ばれていましたし、実際には台湾の幾つかの原住民族が住む島でありました。…ですので、帰属先が定まっておらず、「中華民国台湾省」でもなく、「中華人民共和国台湾省」でもないなら、「台湾」は「台湾」という島であり、かつ「台湾」という国であると認めざるを得ません。日本は田中角栄の時代、「日華条約」を破棄して中共政権と「日中国交正常化」を行いましたが、言葉どおり「正常化」したのかと言えば、私は反って中国に忖度するような「異常化」が起き、「台湾」を公式には見捨てることになってしまったのだと考えています。


…にも関わらず台湾は義捐金を募って、実に180億円を支援してくれました。今、この独立国・台湾は「中華人民共和国」に併吞されかねない危機に晒されています。…そうなれば、沖縄の与那国島の少し先が共産圏の中国の領土となってしまいます。かつては、「満洲は日本の生命線」と呼ばれていましたが、今は「台湾は日本の生命線」と呼べるのではないでしょうか。板垣退助は台湾を「日支提携の懸け橋」と考え、福建省不割譲条約を結ばせて、その地政学的立場を重視しました。板垣の言う「日支提携」(すなわち「日中同盟」)とは、今のように真っ赤に染まった「社会主義」の「中国」ではなく、「台湾」や「香港」のような「自由主義の中国」であれば、現在のような侵略の野心を剥き出しにした中国との同盟ではありません。ゆえにその台湾の独立を認めて、中国共産党政権を排除し、日本の防衛力を高めれるよう国防に注視する必要があると考えております。


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投稿日:2011/07/24

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