高知・板垣山の分骨墓は、50年以上前、明治百年・板垣退助五十回忌の当時、我々の先輩たちが記念事業として建立いたしました。建立責任者の自民党参議院議員・寺尾豊先生は、その当時の財団法人板垣会の会長であり、また板垣退助先生顕彰会の初代会長でもありました。
しかし、高知インター入口付近の複雑な道のため、一本道を行き過ぎると、近くに見えているけど辿りつけない。タクシーに乗っても間違えて岡田以蔵の墓へ連れていかれ「あ、ここじゃなかったですね」と言われる笑えない涙の話は多々あります。
この場所に駐車場を作ってはどうかという話が出たのはもう10年以上前。当時、板垣山の墓地清掃に尽力して下さった故北代巖雄先生は、常々このことを周囲の方々に相談し、その思いを熱く語っておられました。以来NPO法人板垣会が中心となって働きかけを行い、要望書を提出。…しかし、中々ことが運ばず【明治維新150年・板垣百回忌】も過ぎてしまいましたが、当時県議の久保博道先生、現県議・桑名龍吾先生も現地を視察して頂き、NPO法人板垣会・古谷会長以下役員が、県市の観光振興課に設置要望を行い令和3年3月16日を以てようやく駐車場の完成と相成りました(※工事自体は3月13日には完了)。その意志を継いで、今回の義挙が成された事を改めて噛み締め、言祝ぎたいと思っております。
「赤」は、JA高知の横を通る経路で、JR薊野駅の手前(昔、酒屋さんがあった所)で曲がり北上。高速の高架の処で「高架の下を通過せず」右折し高架下を、左手に高速を見ながら板垣山墓所の近くまで行くルートです。「青」はJR薊野駅を通り過ぎた後、川の手前で左折。そのまま川沿いの道を通り、途中で右折して川を渡るルートですが、この行き方の場合は、住宅地の途中で車が入れる道が終り、後は延々石段を登る経路で、一番歩く距離が長いですが、なぜかこのルート沿いに板垣山への看板が出ているので、タクシーさんがよく使うルートです。
板垣山への新しい経路は「緑」をご利用ください。(パチンコ屋さんで左折するだけですぐ到着!すごく便利になりました)
一柱、一柱、後世に伝えるべ事績などを考え、風雨に耐え得るものを作成するのが急務ではないか。また國學の隆盛によって板垣家の当主は、正清以降は戒名が彫られていない。乾家の過去帳を基に、戒名が分かるものも附記として標柱側面に記載し、本年7月16日の板垣薨去百三回忌を目処に建立出来るよう考えております。