原稿完成の目処がつく (令和3年11月15日)

原稿完成の目処がつく。

10月末が締切だったのが、気づけば15日も過ぎてしまっている。

「板垣会」と「土佐藩の会」と二つの原稿の締切が同日で、板垣会の原稿の方は2週間前に仕上がり、順調に校正へ。

…ところが土佐藩の会の方が色々難しかった。


と言うのも、元々「土佐藩の会」の方へ『板垣山の墓所整備と標柱杭作製』の記事を書き、「板垣会」の方に『岐阜東照宮社殿再建式典』の記事を書こうと準備していたのが、板垣会の方から『板垣山標柱杭作製』の事で宜しく〜♪と言われてしまった。

まあそれはそれで良いのだが。読み手が逆になると、話の大前提のここまでは説明して置かないと分からないよなと言う部分が違うし、ピントを合わせる部分も変わって来るし……で、話が変わってくるので、中々手間取ってしまった。

使える写真も、板垣会は白黒だが、土佐藩の会はオールカラーと言う違いもある。板垣会は旧字旧仮名遣いそのままで通用しそうだが、土佐藩の会の方は、現代語訳しないと分かって貰え無さそうとか、読み手の人物層が可成り違う。


…とは言え、結果的には板垣会は「標柱杭作製」の記事で、土佐藩の会は「岐阜東照宮」の記事で良かったと思う。

今日も「護国神社へ行ってる場合ぢゃなくて、早く原稿書けよ」と言う「天の声」が聞こえて来そうだったが、今日は「龍馬忌」だったので許して欲しい。色々考え体験したりしないと良い原稿が書けない場合もある。


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投稿日:2021/11/15

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