板垣特集【板垣の残した名言】(令和4年3月6日号)

令和4年は板垣退助の岐阜遭難【140周年】にあたる年です。

『岐阜新聞』は『自由と刃』と題して板垣特集を毎月第1日曜版に連載されることになり、第3弾も第2面に大きく特集記事が載りました。


新聞特集は多くの研究者に取材して構成されているので、詳細は紙面をご購読頂ければと思います。

ここでは、紙面と重複しない話を書きたいと思いますが、板垣退助の名言として世に知られているものは【板垣死すとも自由は死せず】ではないでしょうか。しかし、板垣はそれ以外にも数々の名言を残しています。

その一つが【戦争によって作られた秩序は、再び戦争をする事によってで無ければ到底これを覆すを得ず。これ、古今の歴史に証する処なり(板垣退助)】です。
実際、この言葉を「薩土討幕の密約」を結び、戊辰戦争を惹起して、明治維新を成し遂げました。


これは、土佐藩が後藤象二郎の唱導する【大政奉還論】に舵を切り、平和裏に国政の難局を乗り切ろうとした時、板垣が発した言葉でした。


その趣旨は次のようなものです。退助曰く『大政返上の事、その名は美なるも是れ空名のみ。徳川氏、馬上に天下を取れり。然(しか)らば馬上に於いて之(これ)を復して王廷に奉ずるにあらずんば、いかで能(よ)く三百年の覇政を滅するを得んや。無名の師は王者の與(くみ)せざる所なれど、今や幕府の罪悪は天下に盈(み)つ。此時に際して断乎(だんこ)たる討幕の計に出(い)でず、徒(いたづら)に言論のみを以て将軍職を退かしめんとすは、迂闊を極まれり』と。


「馬上に天下を取れり」とは、「戦争で勝って天下をとった者」という意味である。そして、「然(しか)らば馬上に於いて之(これ)を復して」という言葉は「再び同じように戦争をする事」でなければ「三百年の覇政」を続けた幕府を潰すことなど到底出来ないと看破しています。


およそ80年前、ロシアは日本の北方領土を武力で強奪し、さらに先年は、クリミヤ半島、今はウクライナを武力で強奪しようとしています。

ロシアと中国が国連の中で、大東亜戦争の戦勝国では無いにも関わらず、常任理事国として、地位を得ていることも甚だ問題ですが、その「常任理事国」で、なおかつ「核兵器」を持つ国が武力で侵攻してきた場合、だれが話合いで止める事が出来るでしょう。


板垣退助の言葉を借りれば『経済封鎖など平和的解決の事、その名は美なるも是れ空名のみ。ロシアは歴史的に領土を戦争で拡大せり。然(しか)らば戦争に於いて之(これ)を打倒して領土を復するにあらずんば、いかで能(よ)く世界最大の領土を誇り、核兵器を保有するロシアの横暴を滅するを得んや。国連諸国は批難決議をしようとも、ロシアは常任理事国の拒否権を悪用して否決し、ウクライナに侵攻し、国際法に違反した攻撃を行い、その罪悪は天下に盈(み)つ。此時に際して断乎(だんこ)たるロシア壊滅の計に出(い)でず、徒(いたづら)に言論のみを以てロシアを退かしめんとすは、迂闊を極まれり』となるのではないでしょうか。


戦争を煽る訳ではありませんが、シビアに現実を考えた150年前の板垣の言葉を、再び深く受け止める時が来ているのではないかと思っております。

次回は来月の第1日曜版紙面に載ります。


前へ次へ

投稿日:2022/03/06

お問い合わせはこちら