本年は、一般社団法人昭和の杜友の会・植田善裕会長の名代として、不肖私が「祭文」を奏上する大役を拝命いたしました。
荘厳な空気の中で「祭文」を奏上するのは初めてですが、何事も経験。奏上の時の所作、お作法も分かり、良い経験となりました。
明治元年(1868)の太政官布告により、各藩は社殿を建設し、同年7月には盛大な祭典が挙行された。明治10年(1878)には、皇室より巨費が下賜されて神域が整備され、全国に建てられた招魂社の中で最も崇敬を集めた。さらに昭和4年(1929)6月には、『昭和天皇御即位大礼』の建物を下賜され、現社殿を整備。昭和14年(1939)に「護國神社」と改称して現在に及んでいる。霊山神域内には、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允(桂小五郎)、平野国臣、宮部鼎蔵をはじめ、蛤御門の変、天誅組の義挙等に加わった志士の墓300余基があり、1356柱が合祀され、明治維新を偲ぶ大霊域・史蹟となっている。
於裳不己登 津良奴可春之天 也万奴己所
大和遠乃己能 己ゝ路奈利希禮
おもふこと つらぬかずして やまぬこそ
大和をのこの こゝろなりけれ
と読めました。おそらく、
思ふ事 貫かずして 辞まぬこそ
日本男子の心なりけれ
で直訳すると「思っていることを貫かないでおれないという気持ちこそが、日本男子の精神である」となると思います。さらにこれを深読みすると、
一心に思いを貫こうとする日本男子の心の結集が今の日本を形成してきたのだ。
その「心」とは尊皇の精神である。
…と非常に奥ゆかしい表現で表された歌となるのではないでしょうか。
崩し字、古文書が読めると世界が広がります。そして日本語の奥深さ、日本精神が分かります。日本精神の真髄は「総てを語らない」けれど「その行間(言わない部分)に本質がある」のではないでしょうか。「分かる人」どうしの「精神性」の世界です。本日は、尊皇の志厚い皆様と共に、護國の大神をお奉りする例大祭に臨むことが出来、感無量です。「大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ、長閑(のど)には死なじ」。すめらみこといやさか、すめらみくにいやさか。(理事長談)