『昭和の杜』(令和4年12月号)に載りました。

京都霊山護國神社の社報『昭和の杜』(令和4年12月号)に、秋季例大祭で昭和の杜友の会・植田善裕会長の名代として、不肖私(髙岡功太郎)が「祭文」を奏上した旨が載っておりました。



祭 文
本日ここ霊山の杜に眠る護国の大神たちの大前に昭和の杜友の会を代表し謹んで祭文を捧げます。
未曾有の大戦が終わり七十七年が経過いたしました。今日を生きる私たちは平和な毎日を享受しておりますが、これも偏に国家存亡の危急に我が身を顧みず護国の柱石となられた英霊(えいれい)と戦後荒廃した祖国の復興に力を尽くされました戦中世代の皆さまのご尽力とご活動の賜物であり、心から感謝申し上げる次第であります。

私は一般社団法人沖縄京都の塔奉賛会の理事長を務めております。沖縄県はこの大戦において日米最後の決戦の場となり、三ヶ月余に及ぶ激しい地上戦が展開され日米双方で二十万人余の尊い生命が失われました。特に沖縄戦の激戦地となった、



宜野湾市(ぎのわんし)嘉数(かかず)区は昭和二十年四月一日に上陸した米軍との間で一進一退二週間にも及ぶ最も激しい戦闘が行われた場所であり、この地を含む沖縄全土で京都府出身者二千五百三十余名の将兵が戦没されました。また地元宜野湾市でも老人や子供までがこの戦闘に巻き込まれ多くの住民が戦傷を受け、当時の人口の二十七%二千七百名の尊い生命が失われました。嘉数区の皆さまは弾薬の運搬や食事の提供等を行ってくださり、京都の将兵とともに戦って頂いたのであります。毎年この地を訪れ京都の塔前において、諸外国から戦争を二度とおこさせない平和で安全な国づくりを進めていくことをご英霊に心から誓わせて頂いています。今日、親が子を殺傷する事件や無差別殺傷事件、またいじめや幼児虐待など人権を無視し命を軽んずる事件が続いて起こっております。沖縄戦をはじめ先の大戦を通じて戦争がいかに悲惨なものであるか、平和の尊さ命の大切さを時代を担う子供たちに伝えていくことこそが今を生きる私たちの責務であると思っています。
私たちは祖国日本の興隆を一心に願われた先人たちの志を継承し正しい史実を伝えるとともに人命を尊び、平和で豊かな国づくりに微力ながら一層励んで参る所存であります。
幕末維新から昭和の大戦にいたる諸霊が神鎮まります京都霊山護國神社が永久に受け継がれてまいりますよう乞い祈りまして祭文と致します。

令和四年十月十四日
昭和の杜友の会 会長 植田喜裕
代読 一般社団法人板垣退助先生顕彰会 理事長 髙岡功太郎


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投稿日:2022/12/01

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