『祖國と青年』(令和4年12月号)に載りました。

本日発売の『祖國と青年』(令和4年12月号)に、明治節桃山御陵参拝での小生(髙岡功太郎)の臨場講話が掲載されました。



同誌には葛城奈海先生の『墨塗り教科書で消された尚武の心』など興味深い記事が満載であり、その中に載せて頂けるだけでも光栄ですが、葛城先生の寄稿より先、何と同誌巻初の『天皇皇后両陛下、即位後初めて沖縄をご訪問』の後の冒頭に小生の記事を載せて頂いておりました。

ところで本年様々な因果があって、小生は新聞・テレビ等のメディアで取り上げて頂くこと10回以上はあったと思いますが、各メディアごと、メディア側の論旨に寄せる形で偏向した解釈がされ、記事になってしまった部分もありましたが、この師走になって上梓された同誌は、これぞ我が意を得たれるものと思えるほど、小生が桃山御陵で講話した内容を有りの儘に書いて頂いているので、謹んで下記に引用。


令和4年11月3日、明治節 京都・桃山御陵参拝団。板垣退助玄孫・髙岡功太郎氏
三年ぶりの桃山御陵参拝団

『十一月三日は明治天皇のお誕生日(明治節)です。 桃山御陵(明治天皇御陵) に参拝しましょう』を合言葉に、平成四年より始まった桃山御陵参拝団は、今年で二十九回目を迎えた。 コロナ禍により一旦休止の期間をはさみ、本年は三年ぶりの開催となったが、当日は好天に恵まれ、百余名の参列者を数えた。桃山御陵は、京都市伏見区、海抜約百メートルの高所にあり、入口から御陵までの参道は約八百メートル。 敷地は広大で約九十ヘクタールあり、十メートル以上の高い木々で覆われている。 参道に足を踏み入れると、辺りは神聖な空気に包まれ、粛々と参進する参列者一同の踏みしめる玉砂利の音だけが響いた。十五分ほどで桃山御陵に到着。 先導に続き一同で、国歌斉唱、明治天皇御製「末つひにならざらめやは國のため民のためにとわがおもふこと」を奉唱。導師による表白文奏上(独唱)、「明治節の歌」を一同で斉唱した。引き続き整列参進し、 昭憲皇太后御陵 (桃山東陵)を参拝。 先導に続き一同で国歌斉唱、昭憲皇太后御歌 「みがかずば玉 の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし」の奉唱を行った。御陵の前で一同、まごころを込めてお参りする中で、明治天皇の御聖徳と明治の御代の御偉業が深く偲ばれた。



板垣退助の勤皇精神
続いて石段下に移動し、板垣退助玄孫・一般社団法人板垣退助先生顕彰会理事長の髙岡功太郎氏より『明治天皇と板垣退助の勤皇精神』と題して臨場講話を頂いた。
板垣の評価は戦後教育では、自由民権運動家として、あたかも国家・政府と対立したかのように教えられている。しかし、板垣の生涯を貫いていたものは勤皇精神であり、板垣の自由民権運動は明治天皇への勤皇精神に基づくものであったことの詳細が、講話の中で述べられた。なにより板垣の功績の一つとして知られる自由民権・国会開設運動とは、明治天皇の『五箇条の御誓文』の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」を柱とし、その理念を体現することにあり、それは西洋列強の模倣ではなく、日本独自の天壤無窮・万世一系の国体に基づいた理念のもと国会を開設することにあった。そして同じ理念の下、伊藤博文が日本の国体に基づいた帝国憲法の制定に尽力し、その憲法制定、国会開設によって、近代日本の立憲政体は実現した。 さらに掘り下げれば、板垣の勤皇精神の基礎は、明治天皇が国民に向かって語られたお言葉 『億兆安撫国威宣揚の御宸翰』にある。


同御宸翰には「長い摂関・武家政治の間、君民の関係は隔たってしまったが、今や天皇親政に復した。私は明治維新・開国という未曽有の国難にあたり、自ら先頭に立ち、皇祖皇宗の遺訓に基づき、国民を安撫し、国威を世界に宣布することを国民に誓う。君民一体の日本の国体は、君民が相睦み互いに努力することで築かれる。よく私の志を体し、公論を尽くし、皇祖皇宗から続く日本の国体を守り、近代国家としての独立の保全を君民相協力して築いてゆこうではないか」との御志であった。



板垣は、 明治天皇の御志に応え、自由民権運動、 政治運動、政治政党の創設、国会開設運動に尽力した。明治天皇も板垣の働きをお認めになり『漸次立憲政体樹立』の詔勅を煥発あらせられた。その中でも「五箇条の御誓文の主意を拡充し、漸次に立憲国家の政体を立て、皆も守旧することなく、急進することもなく、よくよく私の主旨に従い補佐せよ」と述べられ、板垣の国会開設・政党運動を後押しされたのであった。板垣の自由民権運動、国会開設運動は、明治天皇への勤皇精神に基づくものであり、明治天皇も板垣の働きをお感じになり、まさに君民一体となって明治の御代が築かれたとの講話に、深い感慨を覚えた。


戦後教育で忘れられた板垣の勤皇精神を取り戻すことは、明治の勤皇精神を取り戻すことであり、それは同時に現在の私たちの勤皇精神を取り戻すことになる。明治天皇を仰ぐ本参拝団の意義を改めて確認することができた。[京都/中原博美]


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投稿日:2022/12/01

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