●日時 令和6年7月6日(土)
午前11時30分~(受付開始11時~)
●場所 大阪護國神社拝殿
●直会 午後1時~
●会場 護國神社社務所
●直会(要予約・安倍元総理を偲ぶ記念品(※安倍元総理揮毫の桝)あり)
●式典は昨年の桜の季節に安倍元総理を偲ぶ慰霊祭、安倍元総理1年祭などとほぼ同じ流れで行いました。本日奏上した祭文はこちらです。
安倍先生。
安倍晋三先生と言う偉大な政治指導者を、我々日本(にっぽん)国民が失ってから二年の歳月(としつき)を迎えようとしております。
先生は、日本の首相として、日本史上歴代最長の通算八年八ヶ月にわたり国政を執られ、その間、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を重視した戦略的外交を主導し平和と安寧秩序の構築に貢献されました。それは、わが日本のみならず、世界の国々に明るい希望と未来を差し示すものでありました。
その安倍先生を失ってからの日本は残念ながら、本当に残念ながら、扼腕切歯をせざるを得ない状況が続いております。
「歴代最長」という言葉。それは単に「長い」と云う期間を示すものでは無く、客観的な尺度で申し上げますと国民から最も愛され、最も長く信任された首相であると言えるのではないでしょうか。
令和四年七月八日、二発の銃声が空に轟き、そして、あの日、あの安倍先生を失った日、日本国民全員が、先生の遺族となってしまったのでありました。事件は民意を問うための選挙の演説を遮るかのように起りました。応援演説で大和西大寺へお越しくださった安倍先生がマイクを握り、演説をされている背後から犯人は忍び寄り、先生を銃撃したのでありました。
我々はこの議会政治の根幹を揺るがす暴力的行為を決して許すことは出来ません。犯人の狙いは何か?未だその真相は明らかにされておりません。犯人の供述を伝え聞く処によると、自分勝手な理由から妄想をふくらませ、八つ当たり的な犯行に及んだということであります。それが、真実であるかどうかは、まだ分かりません。
しかし、そんな理由で、この稀代の英雄を我々日本が失ってしまって良いのでしょうか。怒りと戸惑いを多くの人が感じたのではないでしょうか。
事件二日後、私は有志らと共に、花を手向けるため事件現場を訪ねました。それは、安倍先生が最期に御覧になられた景色を、私もこの目で確かめておきたかったからに他なりません。
焼けつくような暑い日でした。我々が目にしたものは、何キロにもわたる長蛇の列。安倍先生の最期の現場をひと目でも目に焼きつけ、その場所に花を手向けたいと思う人々の群れがそこにありました。しかし、その事件現場には、今も一柱の石柱を建てることすら出来ない現実が横たわっています。
私は本日この慰霊祭を斎行するにあたり、関係各位のひとかたならぬ御高配を賜り、六月二十五日に、東京・有楽町で安倍昭恵夫人と直接お逢いすることが叶いました。
安倍先生が御生前、板垣退助の百回忌の時に位牌の裏に彫るため、「板垣死すとも自由は死せず」と揮毫して下さった時のことをお話しし、お書きくださったものをお見せしました。昭恵夫人は安倍先生の墨蹟をたどるように優しい目で御覧になられ、そして、その場で昭恵夫人は私に「愛と感謝」という言葉を揮毫してくださいました。また本日の慰霊祭斎行にあたって昭恵夫人は、「皆さまが主人を思い、慰霊祭を執り行って下さることに、主人も喜んでいることと思います。七月六日は、私は伺えませんがよろしくお願い致します。また、板垣先生のお位牌のある高知にもいつか伺えればと思っています」とのメッセージをくださいました。
我々は言論を暴力によって遮るような社会であってはならないと考えております。本年は奇しくも自由民権百五十年の節目の年となりますが、自民党の源流を創った板垣退助もまた、文久三年京都での暗殺未遂事件をはじめとして、明治十五年岐阜、明治十七年東京・芝金杉川口町、明治二十四年は神田の錦輝館で演説中に暴漢が壇上にあがって襲いかかり、翌明治二十五年は神戸三ノ宮で拳銃で狙われるなど、著名なものだけでも計五回以上の暗殺未遂事件が知られ、憲政確立までの多難な時代に身を置きました。
省みれば、安倍先生もまた然(しか)り。平成十二年六月から八月にかけ、御自宅や地元事務所に火炎瓶を投擲され命を狙われること五回、その他、妨害工作や印象操作など多難な試練の中、国策を考え、常にこれに向き合い、国民のために取り組んでこられました。
現今日本(にっぽん)を取り巻く国際社会は暴力の渦巻く混沌の中にあり、安倍先生の目指された平和で「美しい国」日本を建設するヴィジョンが、先生の「志」がこんな暴力によって途絶えることがあってはならないと云う決意を胸に、志を同じくする者たちが本日(ほんじつ)集い侍(はべ)り、先生の御命日を前に、御遺徳を偲び慰霊祭を執り行う次第であります。
政治家として国に殉じられました安倍先生の神霊(みたま)が、天(あま)翔(が)けましても、我々とこの国のゆく末をみそなわし、また「万世一系の皇統を戴くこの皇国(すめらみくに)が諍(いさか)い無く安寧を保ち、富み榮え、天壤(あめつち)とともに極(きわ)まりなく続きますよう」御守り下さいますよう、護國の大神(おおかみ)たちが神(かむ)鎮(しづ)まり坐(ま)す御社(みやしろ)に於きまして乞(こ)い願(ね)ぎ奉(たてまつ)り私の祭文(さいもん)と致します。
令和六年七月六日 一般社団法人板垣退助先生顕彰会 理事長 髙岡功太郎
國のため 洵(まこと)盡(つ)くして 散る花の
心知らずや 雨が打ちゆく
一般社団法人板垣退助先生顕彰会 理事長 髙岡功太郎
狂悖(きゃうはい)で みなの希望も 夢と消え
君に捧ぐる 獻祈(けんき)一獻(いっこん)
昭和の日実行委員会事務局長・森川仁詩
向日葵(ひまわり)の 咲く御社(みやしろ)に 拝(をろが)みて
永遠(とわ)に咲きませ 君(きみ)偲(しの)ぶ花
兵庫県・藤井弥生
(※和歌の引用はフリーです)