会津若松市・西軍墓地戦歿者慰霊祭(令和6年10月23日)

昨年の誓いを果たすため、本日は、会津若松市・西軍墓地戦歿者慰霊祭へ。感謝と哀悼の洵を捧げ、太玉串を奉奠しました。


本日は年に一度の会津若松市・西軍墓地戦歿者慰霊祭へ参列のため、遥々東北へ。東軍墓地慰霊祭に比して西軍墓地は故郷から離れた場所にあるため、恵まれた環境にあるとは云えず、墓地の管理も非常に困難を極めながらも、地元の有志の方々に細々と支えらえて今日に至ります。

戊辰戦争を戦い、新しい時代を築くために一身を捧げられ、護國の柱石となられた方々の墓石が朽ち果てるのを、捨て置けない心を持った人々が、



とうみょうこども園の西軍戦歿者仏式祭壇


西軍戦歿諸士を代表して土佐藩・牧野群馬の遺影


全国から参集しました。弊会・髙岡理事長は土佐藩を代表して参列。仏式・神式両方での祭式のため、玉串奉奠のあとお焼香をするという方式で、毎年斎行されております。



土佐藩戦歿者の奥都城


土佐藩士の奥都城の前で取材を受ける髙岡理事長


板垣退助は、明治維新後、国会開設のための自由民権運動を行っていた際、東北遊説に出てはこの墓地に立ち寄り、刎頸の友・牧野群馬(小笠原唯八)以下、板垣率いる土佐藩迅衝隊で散華せられた部下たち戦友の慰霊を行っておりますが、今年は板垣退助の子孫が初めて会津若松市・西軍墓地戦歿者慰霊祭に参列するということで、テレビ局(TBS系列)の取材もあり、髙岡理事長は今回の東北巡礼に至った経緯や、その所懐をお話されました。



薩摩藩は合葬して大きな墓石となっています


参列者・取材の方々


また、本年は薩摩藩出身のご子孫の方々も久々にお参りされており、その方々も取材を受けておられました。髙岡理事長の奥様は鹿児島出身で、お子様たちは隼人町でお生まれになっていますので、鹿児島からお越しの方々とも話が弾み、様々な御縁を頂けた一日となりました。(事務局より)

追記:当日の様子は令和6年(2024)11月13日のMBCニュース等で放送されました。


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投稿日:2024/10/23

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