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日米英開戰詔勅(昭和16年12月8日)...投稿日:1941/12/08

【日米英開戰詔勅(宣戦布告文)】 天佑を保有し、萬世一系の皇祚を踐める大日本帝國天皇は、昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。 朕、茲に米國、及、英國に対して戰を宣す。 朕が陸海將兵は、全力を奮て交戰に從事し、朕が百僚有司は、勵精職務を奉行し、朕が衆庶は、各々其の本分を盡し、億兆一心、國家の總力を擧げて征戰の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。 抑々、東亞の安定を確保し、以て世界の平和に寄與するは、丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が拳々措かざる所。 而して、列國との交誼を篤くし萬邦共榮の樂を偕にするは、之亦、帝國が常に國交の要義と爲す所なり。今や不幸…

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板垣會館落成式(昭和12年4月6日)...投稿日:1937/04/06

昭和十二年(一九三七)四月六日朝、天下の豪傑・頭山満は一泊した野村茂久馬邸を出て高知公園、高知城に遊び、入口の廣場に向つて立てる板垣伯の銅像前で記念の撮影をなし、それより山内神社と潮江天満宮とに参拝、午後一時からいよいよ板垣會舘落成式が擧行された。 その模樣は大阪朝日、大阪毎日、高知新聞、土陽新聞の各日刊新聞に掲載されたが、それらによれば、明治時代に自由の本山として憲政創始の魁をなした土佐の大先覺板垣伯逝いて十有九年、其高遠な理想と雄大な氣魄を追慕し、又其の典型的土佐人たる遺烈を後世に傳ふべき記念のもと、豫(かつ)て高知市中島町・高野寺境内の伯生誕の趾に建設中の板垣會館は、此程竣工し…

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