お知らせ

板垣会・板垣退助の貴重な書簡を自由民権記念館へ寄託(平成7年10月10...投稿日:1995/10/10

【板垣会・板垣退助の貴重な書簡を自由民権記念館へ寄託】 慶応年間に江戸留学中の板垣退助が郷土の同志、片岡健吉に送った書簡などを十月九日、板垣を顕彰する団体「板垣会」(吉村真一会長)から高知市立自由民権記念館(関田英里館長)に寄託された。関田館長は「板垣は直筆の手紙類が少なく、貴重な史料」と話している。 片岡健吉へ「人之倍苦心仕候」 片岡にあてたこの書簡は慶応二年(一八六六)二月十七日附で、江戸に自費留学中の板垣が「人之倍苦心仕候」と猛勉強している近況を報告。土佐藩に留学延長の願いを出していることを記した上で「今一年も修行致候得」などと、さらに一年江戸留学ができるよう、片岡にも尽力…

詳細

板垣晶子さん逝去 (平成5年11月2日)...投稿日:1993/11/02

板垣正貫さんの奥様・板垣晶子さんが平成5年(1993)11月2日、埼玉県所沢市で逝去されました。 喪主は板垣退太郎さまがつとめられ、お通夜は11月3日、お葬式は11月4日、東京・清岸院で執り行われました。 戒名は玉窓院殿貞観妙圓大姉で、荼毘に付され同寺に埋葬されました。 板垣晶子さんは大正6年(1957)1月14日、土井芳輔の長女として生れました。母は澤田誠一の長女・鶴。昭和10年(1935)12月27日、板垣正貫と婚姻届出。山口縣佐波郡防府町大字新田1819番地・土井利文戸籍より入籍。昭和12年(1937)2月10日、板垣退助銅像が国会議事堂に建立せられた時、夫・正貫…

詳細

板垣退助先生第72回忌法要(平成2年7月16日)...投稿日:1990/07/16

【銅像改修期成会を解散・板垣会が命日に合わせ総会開催】 板垣退助の命日にあたる七月十六日、板垣会(吉村真一会長)の総会が高知市本町二丁目の高野寺で開かれ、銅像改修のため、昨年十二月に結成されていた期成会の解散式と、板垣退助の命日供養が行われた。 板垣会は大正九年の発足。郷土史家や財界人らで構成する財団法人で、板垣退助を顕彰するため、命日の供養や記念碑のある丸山台=高知市若松町=の清掃などをしている。 昨年十二月には、汚れが目についていた高知城公園の銅像改修のため、同会のメンバーを中心に「銅像改修期成会」を結成。広く募金を呼び掛け、ことし四月、約二百六十万円をかけて改修した。 …

詳細

板垣退助像を修復披露(平成2年4月7日)...投稿日:1990/04/07

【板垣退助像が重厚さ一段とリフレッシュ・高知城公園で除幕式】 高知城公園に立つ板垣退助像の改修工事が完成。四月六日、関係者約九十人が出席して除幕式が行われ、リフレッシュした板垣像が披露された。 板垣像は昭和三十一年五月の再建で作は濱口青果。建造後三十四年を経て汚れや傷みが目立ってきた。また今年は第一回帝国議会が開かれてから百周年にもあたり、この機会に像をリフレッシュしようと昨年末、有志らで板垣退助像改修期成会(吉村真一会長)を発足させ、広く募金活動をしてきた。この呼び掛けに、一日現在で八百七十口、計二百六十万円余りの募金が寄せられ、これを元に三月下旬、改修工事に着工。作業は汚れや腐…

詳細

高知市丸山台「自由の碑」を清掃(昭和62年8月9日)...投稿日:1987/08/09

【高知市丸山台・板垣会のメンバーら「自由の碑」を清掃・見学】 板垣退助の生誕百五十周年(天保八年=一八三五=四月十七日高知市中島町生まれ)を記念して八日、高知市の鏡川河口の小島、丸山台にある『自由の碑』の清掃と見学会が行われた。板垣退助生誕百五十年記念事業実行委員会(大西正男委員長)の主催。 丸山台は弘化台と南新田町の中間にあり、約七百平方メートルの県所有の小島。明治十六年板垣が訪欧後、帰高した際、県民から熱狂的な歓迎を受けたゆかりの地で、大正十三年、『自由の碑』が建てられた。見学会には財団法人板垣会の会員など約三十人が参加。船で丸山台に渡ったが、石碑の周辺は約五メートルもの竹が生…

詳細

お問い合わせはこちら