お知らせ

板垣會が「自由主義協議會」を主催(昭和20年10月20日)...投稿日:1945/10/20

【板垣會が「自由主義協議會」を主催】 板垣會では十月二十日午後二時、土佐高女で青壮年有志の自由主義協議會を開く。 (『高知新聞』昭和20年(1945)10月20日附朝刊(2面)より) 前へ・次へ

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板垣會から陸相へ祝辭(昭和20年10月11日)...投稿日:1945/10/11

【板垣會から陸相へ祝辭】 板垣會では高知縣出身の下村定大將が陸相に留任したので、文化施策に獻替するやう希望し、兼ねて祝辭を陸相宛に發送した。 (『高知新聞』昭和20年(1945)10月11日附朝刊(2面)より) 前へ・次へ

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板垣伯の文獻を大切に(昭和20年9月20日)...投稿日:1945/09/20

【板垣伯の文獻を大切に】 板垣會では今回の戰災により、故板垣伯に関する貴重な文獻が多数灰燼に歸したので、高知縣下の各國民學校に保存されてゐる文獻を大切に保管するやう依頼状を發した。 (『高知新聞』昭和20年(1945)9月20日附朝刊(2面)より) 前へ・次へ

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玉音を拝し終戦(昭和20年8月15日)...投稿日:1945/08/15

日本はポツダム宣言を受諾し武装を解除した。 【日米英支蘇終戦詔勅】 朕深く、世界の大勢と帝國の現状とに鑑み、非常の措置を以て、時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告く。朕は、帝國政府をして、米英支蘇 四國に對し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。 抑々(そもそも)、帝國臣民の康寧を圖り、萬邦共榮の樂を偕にするは、皇祖皇宗の遣範にして、朕の拳々措かさる所、曩(さき)に米英二國に宣戦せる所以も亦、實に帝國の自存と、東亜の安定とを庶幾するに出て、他國の主權を排し、領土を侵かす如きは、固より朕か志にあらす。然るに、交戰巳に四歳を閲し、朕か陸海将兵の勇戰、朕か百僚有司…

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板垣會舘の焼失・高知大空襲(昭和20年7月4日)...投稿日:1945/07/04

【板垣會舘の焼失】 板垣伯の十五回忌の法要の席上にて、高知・高野寺菩提寺の谷信讚住職によって発議され、東京相撲協会、頭山満翁らのご尽力により、その二年後の昭和十二年(一九三七)、あたかも伯遭難の四月六日を以て落成された「板垣會舘」は、永く伯を記念し、土佐自由民権の発信地としての聖地となるべき処であったが、歴史の悲運の成せるものか、その輝かしい時は僅かに八年余りであった。 高知財団法人板垣会(現・特定非営利法人板垣会)が組織されたきっかけもまた、この會舘を使って板垣精神と自由民権思想を啓蒙することにあったのである。 時運刻々と逼迫しゆく中にあって、各位のご尽力を以て建立された高…

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