お知らせ

『板垣会』が再出発(昭和56年8月22日)...投稿日:1981/08/22

【『板垣会』が再出発】 民権百年を契機に理事会。 板垣退助の業績を顕彰するため戦前に設けられた『板垣会』が再出発。「自由民権百年」を記念しいろいろな事業を進めていくことになった。『板垣会』は板垣退助の死去した六年後、大正十四年に『板垣伯銅像記念碑建設同志会』として発足。(戦後の昭和二十年から『板垣会』と改称)。高知城の銅像建設、戦後の再建設、高知市九反田の憲政記念館(旧板垣邸)の復興、同市薊野の墓碑の建立、板垣の遺著『立国の大本』の復刻、あるいは墓前祭、相撲大会、弁論大会などの事業を行ってきた。 しかし、先々代理事長・野村茂久馬氏のあとを受けた先代理事長・寺尾豊氏の死後、新しい理…

詳細

横山孫一氏逝去(昭和48年11月3日)...投稿日:1973/11/03

【横山孫一氏逝去】 十一月二日午後五時十分、心不全のため高知市相生町の高知病院で死去。七十七歳。財団法人板垣会・常任理事、高知女子大学後援会副会長、世界連邦高知県連合会会長代行。葬儀は六日午後一時から高知市本町五丁目、日本基督教団高知教会で行われる。喪主は長男・一氏。自宅は高知市上町二丁目六の十一。 (『高知新聞』昭和48年(1973)11月3日附夕刊(7面)より) 前へ・次へ …

詳細

三島由紀夫・森田必勝両烈士自決(昭和45年11月25日)...投稿日:1970/11/25

【三島由紀夫・森田必勝両烈士自決】 板垣精神を体現し、憲法改正を訴えた三島由紀夫・森田必勝両烈士が自決された。場所は奇しくも板垣退助が戊辰戦争の砌、本陣を置いた市ヶ谷である。三島烈士の飛ばした檄文は、板垣の健軍精神を意識したものであろうことは想像に難くない。『日本国憲法』という名の大いなる欺瞞に鉄鎚を下さねばならぬ時が、必ず来るであろう。 前へ・次へ …

詳細

高知板垣山・板垣退助分骨墓完成(昭和44年4月6日)...投稿日:1969/04/06

昨年は、明治百年・板垣退助五十回忌を迎え、東京品川の板垣退助先生墓前に、佐藤栄作名誉総裁による「板垣死すとも自由は死せず」の揮毫を高知産の磐に刻んだ【板垣退助先生顕彰碑】を建立いたしました。 本日4月6日は板垣先生岐阜遭難の日、弊会は高知板垣山に【板垣退助先生の分骨墓】を建立し、慰霊法要を行いました。 (※右写真、右端の喪服女性・板垣晶子さま) 後列中央女性・板垣晶子、その左・土居音三郎 右端・寺尾豊会長、左より2人目が島田信了住職 新聞報道では・・・ 【十年目、やっと完成。板垣伯の「高…

詳細

板垣退助先生五十回忌墓前祭(昭和43年12月8日)...投稿日:1968/12/08

【板垣退助先生五十回忌墓前祭】 板垣会(会長・寺尾豊)は、昭和43年12月8日、東京品川の板垣退助先生墓前で五十回忌墓前祭を斎行。あわせて佐藤栄作名誉総裁の揮毫による「板垣死すとも自由は死せず」を高知産の石に彫り『板垣退助先生顕彰碑』として除幕式を行った。 前へ・次へ

詳細

お問い合わせはこちら