お知らせ

板垣退助先生第92回忌(平成22年7月17日)...投稿日:2010/07/17

【「板垣死すとも…」功績しのび法要】 自由民権運動を推進した板垣退助の命日に当たる七月十六日、高知県内有志でつくる「板垣会」が高知市本町二丁目の高野寺で法要を営み、功績をしのんだ。 板垣は一八三七年に現在の同寺がある場所で生まれた。立志社や自由党を結成し、議会設立や憲法制定に尽力。有名な「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残した。 板垣会は板垣薨去の翌年の一九二〇年に発足。法要や同市薊野東町にある墓地の清掃を行っている。理事と監事を含め約二十人の役員で運営していたが、昨年の九十一回忌をきっかけに賛助会員を募り、約五十人が加わった。 法要には、約三十人が参列。読経が響く中…

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板垣退助先生第91回忌法要(平成21年7月17日)...投稿日:2009/07/17

本日は、板垣退助先生の第91回忌です、全国から板垣先生の徳を慕う人々が参集し、板垣退助の生誕地に建つ高野寺で法要が行われました。 【板垣退助第91回忌法要・功績に思いはせ法要に50人参列】 自由民権運動の指導者・板垣退助(一八三七~一九一九)の第九十一回忌の命日に当たる七月十六日、高知県民有志でつくる「板垣会」(会長・古谷俊夫)が、高知市本町二丁目の高野寺で法要を営んだ。 現在、同寺が立つ場所に生まれた板垣は、立志社の創立や自由党結成など自由民権運動を推し進め、立憲政治の確立に尽力した。板垣会は、板垣薨去の翌年一九二〇(大正九年)に発足。会が保有する株券の配当や寄…

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戦後63年・靖國神社参拝 (平成20年8月15日)...投稿日:2008/08/15

本日は大東亜戦争の終結より63年目の節目の日。 戦争体験者の方々のお話しを聞けるのは、我々が最後の世代かもしれません。…という訳で東京の靖國神社に参拝し、癸丑以降、国事に奔走され散華された勤王の忠臣、護国の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げました。この英霊の中には、板垣退助の配下に属し、戊辰戦争で散華された御祭 神もおられます。にも関わらず世間では戦後史観が蔓延し、勤王の大義は隅に追いやられるばかり。 本当に悲しい。「討幕の密勅は偽物だった」「錦の御旗は偽物だった」という声を聞くたびに国に殉じた御祭神のことを思うと心が張り裂けそうに痛みます。また「賊軍も本殿へ奉れ」などは、例えるな…

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伝えたい板垣生誕地・高野寺住職 島田定信さん(平成18年6月26日)...投稿日:2006/06/26

【伝えたい板垣生誕地・高野寺住職 島田定信(じょうしん)さん(62)】 明治の初め、高知にも廃仏あの波が押し寄せました。そんな時、和歌山の高野山から縁あって高知に来た僧が、その惨状をみかねて、ここ板垣退助の生誕地跡に創建したのがこの高野寺です。 戦前には今の商店街の東側が寺の塀で、敷地の今の二倍以上ありました。昭和十二年には当時の内務大臣や高知市出身の横綱・玉錦らの協力で敷地内に板垣会館が建てられ、演説会などが行われていたようです。なんで玉錦かというと、自由民権の創始者の板垣は、相撲奨励者としても有名なんです。玉錦は会館建設のため、本場所のあくる日にわざわざ興行し、浄財を集めたと聞…

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板垣退助の功績しのぶ・第86回忌命日法要(平成16年7月17日)...投稿日:2004/07/17

【板垣退助の功績しのぶ・第86回忌命日法要】 自由民権運動の指導者・板垣退助の命日だった七月十六日、高知県民有志でつくる「板垣会」(古谷俊夫理事長)が高知市本町二丁目の高野寺で法要を営んだ。 板垣会は板垣死去の翌年にあたる大正九年(一九二〇)に発足。浄財を基にした預金の利子や株式の配当などを運営資金とし、毎年命日の法要や板垣家墓所(高知市薊野)の清掃などを続けている。 法要には、岐阜県からの参加者を含む各位が参列。読経が流れる厳かな雰囲気の中、数々の功績を残した土佐の名士に思いをはせた。 法要後の定例事業報告会で、古谷理事長は「これからも県内外を問わず会員を増やし、大々…

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