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自由民權の土佐に蘇る春・板垣伯を偲ぶ會と催し(昭和21年4月4日)...投稿日:1946/04/04

【自由民權の土佐に蘇る春・板垣伯を偲ぶ會と催し】 自由民權發祥の地・土佐。時代は澎湃として自由主義を謳歌するとき、伯の遺德を永久に顯彰し、その精神を鼓吹するため、時代の切なる要求に應じて再び明るみに浮び上つて來た板垣會は戰災に遭つたため、土佐高女内にその本部を置き、自由民權の警鐘を鳴らさうと四月六日、伯の岐阜遭難六十四周年に當つて各方面に呼びかけ盛大な記念行事を行ふことになつた。すなはち同日午後一時から土佐高女で總會を開き戦災板垣會館の復興計畫中の高知市九反田憲政館(元板垣伯邸)移轉を議したのち、記念演説會を開き、市民文化講座を開くとともに土佐大學設立を提唱する。また七日には「國技館」の…

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板垣會委員世話會(昭和21年3月20日)...投稿日:1946/03/20

【板垣會委員世話會】 板垣伯の銅像再建および伯の懐德顯彰に乘り出した板垣會では、全縣下委員世話會を二十一日午後一時半から高知市役所の市長室で開催する。 (『高知新聞』昭和21年(1946)3月20日附朝刊(2面)より) ●このころ板垣會の代表(會長)は高知市長が務めており、戦前からひき続いて大野勇市長が代表であった。高知県下の板垣会の役員を招集し、今後は戦後史観における「板垣像」を提唱することになる旨の落とし込みがなされた。これも苦渋の決断であり、この時な大野市長の判断を責めることはできない。彼の本心は板垣像供出の時の祭文に余すことなく述べられており、今日我々は池田永馬の編纂…

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自由の父を顯彰・板垣伯銅像再建の運動(昭和21年3月13日)...投稿日:1946/03/13

【自由の父を顯彰・板垣伯銅像再建の運動】 「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ自由民權運動の父、封建的な藩閥専制の苦節に屈しなかつた郷土の大先輩板垣退助伯の自由平等の精神は軍國主義一色の世では一時忘れられてゐたが、敗戰後の平和的な民主日本建設にあたつて再認識されるに至り、これを顯彰して自由な世界建設の道しるべとするため財團法人板垣會、賛助團板垣會が中心となつて尾崎愕堂翁を顧問に推し、大野高知市長を代表者として社會教育の殿堂だつた板垣會館の再建、高知、日光、岐阜、東京芝公園、國會議事堂の五ヶ所にあつて戦争で應召した銅像の再建(※國會議事堂の板垣退助像は金属供出していない)、傳記、文獻の編纂…

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板垣會役員會(昭和21年3月9日)...投稿日:1946/03/09

【板垣會役員會】 板垣會では三月九日午後一時から土佐高女で役員會を開き、板垣精神再現に就て協議する。 (『高知新聞』昭和21年(1946)3月9日附朝刊(2面)より) 前へ・次へ

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民主主義と教育勅語の研究會(昭和21年1月7日)...投稿日:1946/01/07

【民主主義と教育勅語の研究會】 板垣會ではマツクアーサー司令部の指令による地理、日本史、修身の三科目廢止に伴ひ、教育勅語が國家道德の信條たる日本では、皇室と表裏一體たりし重要性と新日本發足の一歩にかへりみ、十日午後一時、土佐高女で民主主義と教育勅語の研究會を開催する。 (『高知新聞』昭和21年(1946)1月7日附朝刊(2面)より) ●戦後教育における偏向して固定化した「自由を唱える」だけの板垣像はどのように作られたかという疑問を懐く人々は多い。 進駐軍のマッカーサーは板垣退助の遺著『立國の大本』を焚書指定して閲覧を禁じる一方で、「板垣死すとも自由は死せず」の言葉のみに…

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