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板垣伯【第二十八回忌】法要(昭和21年7月15日)...投稿日:1946/07/15

【板垣伯の法要】 憲政の父・板垣退助伯逝いて廿八年(第二十八回忌)。財團法人板垣會では、七月十六日午後一時から高知市中島町の高野寺で法要を営み、式後故伯を偲ぶ懇談會を開催。會館・銅像再建、傳記編纂などを協議する。 (『高知新聞』昭和21年(1946)7月15日附朝刊(2面)より) ●翌7月16日が戦後最初の板垣退助の命日法要となった。記事で「傳記編纂」と、サラっと書かれているが不思議に思われた方もおられるのではないだろうか。戦前に執筆された優れた『板垣退助君略傳』などが既にあるからである。実はこれは「戦後史観」に基づく板垣像への書き換えに関しての内容であり、先のGHQの指令に…

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日章村「板垣會」創立(昭和21年4月27日)...投稿日:1946/04/27

【日章村「板垣會」創立】 高知縣香美郡日章村の池田・田島両氏を中心とする各有志は、民權自由の偉人・故板垣退助氏の遺志を繼いで村民の思想を民權自由、社会正義、道義の昂揚により、村を淨化する目的で、去る二十三日、同村國民學校に創立。世話人會を開催。満場一致で創立することに決定。會則・綱領草案を起草の上、目下農繁期につき、田植え後の五月十日頃に結成大會を開いて目的に向つて發足することになつた。 (『高知新聞』昭和21年(1946)4月27日附朝刊(2面)より) 前へ・次へ …

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自由民權の土佐に蘇る春・板垣伯を偲ぶ會と催し(昭和21年4月4日)...投稿日:1946/04/04

【自由民權の土佐に蘇る春・板垣伯を偲ぶ會と催し】 自由民權發祥の地・土佐。時代は澎湃として自由主義を謳歌するとき、伯の遺德を永久に顯彰し、その精神を鼓吹するため、時代の切なる要求に應じて再び明るみに浮び上つて來た板垣會は戰災に遭つたため、土佐高女内にその本部を置き、自由民權の警鐘を鳴らさうと四月六日、伯の岐阜遭難六十四周年に當つて各方面に呼びかけ盛大な記念行事を行ふことになつた。すなはち同日午後一時から土佐高女で總會を開き戦災板垣會館の復興計畫中の高知市九反田憲政館(元板垣伯邸)移轉を議したのち、記念演説會を開き、市民文化講座を開くとともに土佐大學設立を提唱する。また七日には「國技館」の…

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板垣會委員世話會(昭和21年3月20日)...投稿日:1946/03/20

【板垣會委員世話會】 板垣伯の銅像再建および伯の懐德顯彰に乘り出した板垣會では、全縣下委員世話會を二十一日午後一時半から高知市役所の市長室で開催する。 (『高知新聞』昭和21年(1946)3月20日附朝刊(2面)より) ●このころ板垣會の代表(會長)は高知市長が務めており、戦前からひき続いて大野勇市長が代表であった。高知県下の板垣会の役員を招集し、今後は戦後史観における「板垣像」を提唱することになる旨の落とし込みがなされた。これも苦渋の決断であり、この時な大野市長の判断を責めることはできない。彼の本心は板垣像供出の時の祭文に余すことなく述べられており、今日我々は池田永馬の編纂…

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自由の父を顯彰・板垣伯銅像再建の運動(昭和21年3月13日)...投稿日:1946/03/13

【自由の父を顯彰・板垣伯銅像再建の運動】 「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ自由民權運動の父、封建的な藩閥専制の苦節に屈しなかつた郷土の大先輩板垣退助伯の自由平等の精神は軍國主義一色の世では一時忘れられてゐたが、敗戰後の平和的な民主日本建設にあたつて再認識されるに至り、これを顯彰して自由な世界建設の道しるべとするため財團法人板垣會、賛助團板垣會が中心となつて尾崎愕堂翁を顧問に推し、大野高知市長を代表者として社會教育の殿堂だつた板垣會館の再建、高知、日光、岐阜、東京芝公園、國會議事堂の五ヶ所にあつて戦争で應召した銅像の再建(※國會議事堂の板垣退助像は金属供出していない)、傳記、文獻の編纂…

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