昭和十二年(一九三七)四月六日朝、天下の豪傑・頭山満は一泊した野村茂久馬邸を出て高知公園、高知城に遊び、入口の廣場に向つて立てる板垣伯の銅像前で記念の撮影をなし、それより山内神社と潮江天満宮とに参拝、午後一時からいよいよ板垣會舘落成式が擧行された。
その模樣は大阪朝日、大阪毎日、高知新聞、土陽新聞の各日刊新聞に掲載されたが、それらによれば、明治時代に自由の本山として憲政創始の魁をなした土佐の大先覺板垣伯逝いて十有九年、其高遠な理想と雄大な氣魄を追慕し、又其の典型的土佐人たる遺烈を後世に傳ふべき記念のもと、豫(かつ)て高知市中島町・高野寺境内の伯生誕の趾に建設中の板垣會館は、此程竣工し…
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