お知らせ

明治節・桃山御陵正式参拝(令和7年11月3日)...投稿日:2025/11/03

本日は『明治節』。 本日は霧のような小雨の中の『明治節』となりました。また、御陵の入口附近が工事中のため、受付場所も乃木神社から入った側の箇所に変更となっております。定刻どおり同志ら相集って桃山御陵参拝團の先導のもと恭しく参進を開始。 本年は、ウクライナ出身の国際政治学者・グレンコ・アンドリー先生による臨場講話『皇統と保守主義』。その後、乃木神社、御香宮をお参りし、アンドリー先生を囲んで直会となりました。 恭しく参進 雨があがり晴れ空に… 国歌斉唱のあと御製奉唱 桃山御陵にて …

詳細

東京で【高市内閣の誕生】を祝いながら(令和7年10月24日)...投稿日:2025/10/24

東北の『戊辰戦争(西軍)慰霊祭』の帰路東京で2泊。 その間、東京青梅市の板垣退助像参拝、大東神社参拝の後、総理大臣・海軍大臣を2度務められた山本権兵衛閣下の玄孫・山本盛隆さま、浅野財閥創始者・浅野総一郎玄孫(板垣退助玄孫でもあり親戚の)浅野造史さま、宇多源氏同族会で元自衛官である兒島隆幸さま(遠縁の親戚)、国士舘大の山本さんの後輩で陵墓巡りで共通の友である前山真太郎さま、元公家で有職故実を大学で教えておられる髙山さま(遠縁の親戚)、清話会の佐々木さま、 明治天皇の御下賜品である盃で「彌榮」の発声 (左)浅野造史さま、(右)髙岡功太郎理事長 …

詳細

東京青梅・大東神社参拝(令和7年10月24日)...投稿日:2025/10/24

東京青梅の板垣退助像にお参りしたならば、是非寄らねばと深い畏敬の念を抱き青梅の「大東神社」へ。戦後史観で消された『板垣退助の大楠公精神』を求めて。 昭和20年8月25日、代々木練兵場で天皇陛下に敗戦を詫び、影山庄平塾長代行以下、大東塾生14名が割腹自決を遂げた。 その遺書には清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓つて無窮に皇城を守らむとしたためられている。『十四士之碑』の周りを取り囲む14の石は各烈士の姿を象ったもの。 境内にある日韓合邦記念塔は、板垣退助の門下生であった頭山満翁の揮毫によるもの。板垣は「日韓合邦」が成った時、「遅きに失したり」と感想を述べたことは著名である…

詳細

東京・青梅の板垣退助像を参拝(令和7年10月24日)...投稿日:2025/10/24

本日は小雨の中、初めて遥々青梅の板垣退助像を参拝してまいりました。戦後史観で消された『板垣退助の大楠公精神』を求めて。 そしてこの板垣像の建立地から少し川沿いを下向きに歩いた場所にはこの像を建てて下さった、青梅板垣会の初代会長・岩浪光二郎翁の銅像(胸像)と顕彰碑があります。 東京芝の板垣退助像が戦時供出されて、再建されてないですが、その代わりにこちらに戦後新しく建てられたもので、除幕は板垣退太郎さまのお姉さまの秋山(旧姓板垣)範子さまがされました。 ところで、銅像の中身ってぎっしり銅が入っている訳ではなく中空です。なので、戦時供出しても取れる銅の目方はそれ程多くは…

詳細

牧野群馬討死の「滝沢本陣」と福岡友三郎討死の「滝沢峠」へ。(令和7年1...投稿日:2025/10/23

会津若松・戊辰戦争西軍墓地(旧官修墳墓)慰霊祭の後、会津藩降伏式の場所へ。その後、土佐藩軍監・小笠原唯八(牧野群馬)討死の場所『滝沢本陣』と福岡友三郎討死の場所『滝沢峠』へ。 会津若松での西軍慰霊祭(旧官修墳墓慰霊祭)の後、牧野群馬討死の場所である『滝沢本陣』へ。国指定の重要文化財でありますが、平日とあってか無人(※防犯カメラあり)。 賽銭箱の様な受付にお金を払って、中へ。 小笠原唯八と板垣退助は刎頸の友。そして、高祖父で同じ人物に行きつく親族でもある。…と云う訳で、無人なので思う存分往時を偲ぶ。 滝沢峠(滝沢本陣からは離れた場所にあります) …

詳細

お問い合わせはこちら