お知らせ

東日本大震災支援感謝・台湾独立運動(平成23年7月24日)...投稿日:2011/07/24

 東日本大震災の時、台湾は多額の義捐金を集めて日本の復興を支援してくれました。 本日はその御恩返しとして大阪梅田のナビオ阪急前で行われた「台湾独立運動」に参加してまいりました。 台湾議会を創った林献堂先生は、議会を創る運動から学ぼうとして日本の本土に渡り、板垣退助を訪ねます。板垣もこれに呼応して、訪台すること2度。台湾各地を遊説して回りました。晩年の板垣の姿です。今でも板垣の植樹した桜が現地に残るそうで、板垣は「台湾議会の祖」とも呼ばれています。この「台湾議会」は現在の台湾の国会の源流でもあります。 そうしたご縁を感じながらの街頭活動。 私も恥ずかしながら、マイクを握って台…

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戦後63年・靖國神社参拝 (平成20年8月15日)...投稿日:2008/08/15

本日は大東亜戦争の終結より63年目の節目の日。 戦争体験者の方々のお話しを聞けるのは、我々が最後の世代かもしれません。…という訳で東京の靖國神社に参拝し、癸丑以降、国事に奔走され散華された勤王の忠臣、護国の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げました。この英霊の中には、板垣退助の配下に属し、戊辰戦争で散華された御祭 神もおられます。にも関わらず世間では戦後史観が蔓延し、勤王の大義は隅に追いやられるばかり。 本当に悲しい。「討幕の密勅は偽物だった」「錦の御旗は偽物だった」という声を聞くたびに国に殉じた御祭神のことを思うと心が張り裂けそうに痛みます。また「賊軍も本殿へ奉れ」などは、例えるな…

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板垣晶子さん逝去 (平成5年11月2日)...投稿日:1993/11/02

板垣正貫さんの奥様・板垣晶子さんが平成5年(1993)11月2日、埼玉県所沢市で逝去されました。 喪主は板垣退太郎さまがつとめられ、お通夜は11月3日、お葬式は11月4日、東京・清岸院で執り行われました。 戒名は玉窓院殿貞観妙圓大姉で、荼毘に付され同寺に埋葬されました。 板垣晶子さんは大正6年(1957)1月14日、土井芳輔の長女として生れました。母は澤田誠一の長女・鶴。昭和10年(1935)12月27日、板垣正貫と婚姻届出。山口縣佐波郡防府町大字新田1819番地・土井利文戸籍より入籍。昭和12年(1937)2月10日、板垣退助銅像が国会議事堂に建立せられた時、夫・正貫…

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