お知らせ

板垣会で記念行事(昭和30年4月2日)...投稿日:1955/04/02

【板垣会で記念行事】 板垣会(理事長・野村茂久馬氏)では四月六日の板垣先生遭難七十四周年を記念して次の行事を行う。 記念相撲=四月三日(雨天の場合は十日)午後二時から高知市中島町・高野寺境内 墓前祭、座談会、=四月六日(雨天順延)午後二時から高知市薊野の板垣家墓地、一時半、同市中島町の高野寺から臨時バスが出る。 【故板垣伯岐阜遭難記念】 例年通り四月六日を期して板垣伯の記念祭典並びに相撲を挙行致します。依て役員及び各有志者は参会を希望す。本年に限り四月三日日曜日に開催致します。降雨の際は次の日曜日に延ばす。 主催:土佐角力協会 後援:財団法人板垣会 【高野山参拝…

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板垣退助の紙芝居を募集(昭和30年3月20日)...投稿日:1955/03/20

【板垣退助の紙芝居を募集】 財団法人板垣会(理事長・野村茂久馬氏)では板垣退助の伝記、業績、精神を面白くわかり易くあつかった紙芝居を次の要領で一般募集する。 大きさ=約三八センチ×二六センチ 締切=十一月三日(明治節) 審査発表=十一月五日 賞金=一等一万円、二等八千円、三等五千円、佳作(三組)三千円 審査員=島崎英夫、川村源七、橋詰延寿、東元善次郎、岡村孝夫 (『高知新聞』昭和30年(1955)3月20日附夕刊(3面)より) 前へ・次へ …

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板垣会弁論大会(昭和30年2月1日)...投稿日:1955/02/01

【板垣会弁論大会】 板垣会主催、高知新聞社後援の第二回板垣杯争奪高知県高校生弁論大会は、一月三十日午後一時から高野寺会館で行われ、次の通り入賞者を決めた。 一等「私は思う」高岡高校二年・三宮淑身 二等「板垣精神に徹する」小津高校一年・森下純行 三等「女性に望むもの」土佐女子高校二年・池正子 四等「公明選挙によって民主政治を守れ」山田高校三年・郷本寛 五等「明るく生きよう」須崎工業高校二年・梅川岸夫 (『高知新聞』昭和30年(1955)2月1日附夕刊(3面)より) 前へ・次へ …

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板垣会弁論大会審査員決まる(昭和30年1月24日)...投稿日:1955/01/24

【板垣会弁論大会審査員決まる】 一月三十日午後一時から高知市大橋通り高野寺会館で行われる板垣会主催、高知新聞社後援の第二回高校弁論大会の審査員は次の通り決まった。 大原知己(RK放送部長)、高崎市子(高知県教育副委員長)、岩崎きくえ(演劇研究家)、島本富士陽(高知市教育副委員長)、中平正明(ラジオ高知総務局長)、堅田守正(高知新聞社編集局長) (『高知新聞』昭和30年(1955)1月24日附夕刊(3面)より) 前へ・次へ …

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板垣先生記念事業復興計画(昭和29年9月1日)...投稿日:1954/09/01

【板垣先生記念事業復興計画趣意書】 板垣退助先生が我国自由民權の始祖で又其の育ての父であり、憲致の大恩人であることは今更呶々を要しない。晩年身神を顧みず、社会事業に尽された功績も亦遍(あまね)く人の知るところで実に救国済民の世界的先賢であつた。因(よつ)て襄(さき)には帝国議事堂内に伊藤博文、大隈重信諸公と並んで先生の銅像が建立され、「板垣死すとも自由は死せず」との千古の銘言を残して遭難された岐阜市に、又先生が戰災から国宝日光廟を救われた記念地日光にも夫(それ)々(〴〵)銅像が建てられ、先に五十銭紙幣に先生の肖像が載せられ、近くは這次の世界大戰最中、米軍機上から投じた「板垣は居らぬか、福…

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